アセクシャルは研究が進んでいませんが、生育環境など何らかの影響によってマイノリティを自認するようになる、もしくはそういうタイプもいるのではないかという推察があります。
当事者がこの推察について考えてみました。
【1】アセクシャルが後天的由来のもの説
全員が全員そうではないかもしれませんが、アセクシャルは生育環境など、何らかの影響でなるものなのではないかという考えがあります。と言っても研究が進んでいないので、憶測に過ぎないようです。
答えは出ないものだと思いますが、アセクシャルを自認する筆者が、自分の生育環境を振り返ってみます。
なお、筆者は毒親育ちですので、「そうかもしれないなあ……」という考えのもと論じていきます。
【2】生育環境が影響しているかもしれないと思う理由
個人的には、生育環境がアセクシャルの自認へ何らかの影響があってもおかしくないと思っています。その理由について説明していきます。
(1)恋愛に過度に干渉する家庭だった
私の母親はやたら恋愛に干渉する人でした。「見定めてやる」という感覚ですね。そして、基本的にはその彼氏のことをボロクソ言います。心配しているからというよりは、自分が幸せな恋愛をできなかったからそういう目で見ることで安心感を得たいこと、幸福なようなら邪魔をしてやりたいということが本音でしょう……。
妹たちが恋愛をするたび、付き合って間もないのに親へ挨拶に行かされたり、定期的に会うことを要求されたり、悪口を言われたりしているのをみてぞっとしていました。
私は「早く彼氏ができないのか」「できたらすぐに教えなさい」と言われてきて、作るものかと思ったものです……。親しい男友達はたくさんいましたが、そのたび、「あの子が好きなんじゃないか」「付き合ってないのか」と言われ、茶化され、場合によってはその男友達にまであれこれ言う始末。本当に恋愛なんてするものではないな……と思いながら学生生活を過ごしました。
(2)毒親だった
これまでからもわかるように、母親は非常に強烈な毒親タイプです。これだけ話すと過干渉に見えますが、実は「放任主義」といつも話すネグレクト。小学生のときから、冷蔵庫から勝手にご飯を作って食べるようなスタイルですが、そもそも冷蔵庫にはまともにご飯がない感じでした。また、学校で必要になる筆記用具も、父親からもらうなけなしのお小遣い1000円でやりくりしていました。おかげで親の愛というのがよくわかりません。
母は自分の経済事情に見合わないお金の使い方をする欲求型のタイプで、クレジットカードを使って勝手に買い物をしてしまいます。そのせいか父親もかなりのストレスを溜めていました。お金を稼ぐために日付が回ってから帰る毎日で、苛立ち、お酒を飲み、ときには手が出るような人でした。家を追い出され、とぼとぼと隠していたお金を持って家出をしたこともあります。離婚してからは落ち着いていますので、元々の気質というよりは、そうなるまで追い詰められていたのかもしれませんね。
また、祖母も祖父との結婚に満足がいっていないようで、会うたび、数時間も祖父の悪口を言っています。会っている時間すなわち悪口と言えるほど、一日中聞かされます。このような環境で育っては、本能が恋愛や性的行為に好感を持たなくても仕方ないように感じてしまいます。
(3)他者に頼れない状況にあった
このような環境にあって、子どもながらに「自分の身を守れるのは自分だけだ」と思ったものです。ときには友達の親や学校の先生が手を差し伸べてくれましたが、ことが重大で自分にのしかかる負担が大きいとわかると見放されました。
おそらく、自分たちが迷惑を被らない範囲で優しくしてあげようという中途半端な同情だったのでしょう。人に情けをかけることが悪いことだとは言いませんし、そう言った気持ちは大切なものだと思いますが、頼った瞬間に突き放される経験を何度も重ねると、もう大人は頼りにならないという思いになります。私にとっては、その方が残酷なことでした。
大学生くらいになっても、結婚するという支え合いの関係など想像できず、一人で生きていくためにがむしゃらに勉強だけを続け、早い段階から就職活動も始めました。解禁前から積極的に企業とコンタクトを取ったり、インターンに明け暮れたりしたものです。もちろん、金銭的な援助はありませんので、自分で必要なお金を稼ぐ必要があり、かなりきつい状況であったのはいうまでもありません。それでも、そんな中でなんとかやってこれてしまい、今では一人でも生きていけるだけの経済力をつけてしまいました。
“一人では生きていけない”という通り、仕事をする上でお世話になった上司やそのほか関係する人たちがいるため、全く他者に頼らない生き方をしているというわけではないでしょう。ですが、人に情けをかけてもらう、助けを求めるということを必要としなくなってしまったのです。
【3】まとめ
そんな中で今の恋人と出会ったのは、奇跡で偶然というしかありません。初めは仕事上の関係でした。
相手がなぜかなかなか仕事の話を持ち出さず、(後日、まずは顔合わせ程度の認識で仲を深めるのが先決だと思っていたことを聞いています)、適当な雑談をして交流を深め、その際に話題になった、取材で必要な資料を利害の一致で取りに行き、そこからプライベートの場へ遊びにいくようになったという偶然が重なったからこそ、告白されて付き合うに至ったようなものです。
尊敬する思いが彼との関係をつなぎとめましたが、そうでもなかったら私は今でも恋人を作らなかったでしょう。こうした様々な状況にあって、私は後天的に何らか脳に悪影響を与えている可能性も拭えないと思っています。
(Amy/ライター)
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