LGBTが言われ始めている現在も、まだまだレズビアンには偏見があると感じます。
今回は、当事者として日々の生活の中で偏見だと感じることについてお話しします。
【1】 レズビアンにつきまとう偏見とは?
セクシャルマイノリティについて情報や知識が広まりつつありますが、マイノリティ当事者への偏見は未だ残っています。
レズビアン当事者の方へ理解があると思っていても、当事者の方から偏見ととらえられてしまう考えをいつの間にか持っていることもあります。
また、無意識にセクシャルマイノリティ当事者に押し付けてしまっている偏見があるかもしれません。
レズビアン当事者が偏見と感じることをご紹介していきます。
【2】 レズビアン当事者が偏見だと感じること3つ
レズビアンは、ステレオタイプとも呼べるイメージが定着してしまっていることが多いです。しかも、それが全く大多数を指すわけではなかったり、全くもって正しくないことも多いです。
そこで、よく言われたり思われたりする中で、「これは偏見だ」と感じるものをご紹介します。
(1)女性なら誰でも恋愛対象になる訳ではない
女性が恋愛対象だからといって、恋愛する相手が女性なら誰でも良いという訳ではありません。
異性愛者が恋愛をするのに相手が誰でも良い訳ではないように、レズビアン当事者も恋愛をするのに誰でも良い訳ではありません。
これはゲイセクシャルも含む同性愛者の方々にいえることです。
異性愛者も同性愛者も同じく恋愛をする相手が誰でも良いということは無いのです。
(2) 全ての女性に対して性的欲求をもつ訳ではない
1つ前の項目に近い内容ですが、レズビアン当事者は恋愛対象が女性だからといって全ての女性に対して性的欲求をもつ訳ではありません。
時折「銭湯など裸の女性がいる空間は最高でしょう?」と冗談のつもりで言う方がいらっしゃいますが、それは大変失礼になります。
レズビアン当事者の中でも、恋愛感情や政敵欲求を抱かないアセクシャルの人がいたりと、セクシャリティは様々です。それを含めても女性に対してなら誰でも性的欲求をもつのはありません。
恋愛感情が無くとも体の関係をもつ方もいらっしゃいますが、銭湯などの公共空間で性的欲求をもつことはありませんので、冗談でも「裸の女性が多い空間は最高でしょう?」など言わないようにしましょう。
(3)レズビアンは治すものではない
レズビアンということは、セクシャリティであり病気ではありません。中には「男性経験がない、少ないだけでレズビアンと言っているのでは?」、「男性との交際、経験があればレズビアンは治るのでは?」という方がいらっしゃいます。
しかし、全ての性自認は病気ではありません。レズビアンの方の中に、は男性経験が無くとも自らをレズビアンだと自認する方もいます。逆に男性経験や男性と交際経験があっても、様々な違和感などから、実は自分がレズビアンであったと自認する方もいらっしゃいます。
このように、性自認は変わるものであり、他人が決めるものではなく自分自身が気付き決めるものです。
セクシャルマイノリティであることは病気ではありません。良かれと思ってレズビアン当事者の方に男性との交際を勧めるといった行動は、当事者の人々には苦痛を感じることもありますので控えましょう。
【3】 まとめ
レズビアン当事者が偏見に感じることを3つご紹介しました。
レズビアンを含むセクシャルマイノリティの恋愛は、恋愛対象が同性であったりするだけで恋愛の形は異性愛と変わりありません。同性なら誰でも良い、性的欲求も感じるということはないのです。
そして特に偏見であるのは「レズビアンは治せるもの」ということです。セクシャルマイノリティ全てに言えることですが、セクシャルマイノリティであることは病気ではありません。
異性愛も同性愛も恋愛対象が違うだけであり、様々な恋愛の形であり治すものではないのです。この記事をきっかけに少しでも偏見が減ることを願います。
(みなと/ライター)
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