セクシャルマイノリティが理解され始めてきたとはいえ、世の中は恋愛至上主義です。
しかし、恋愛や結婚が全てではありません。そのことについて述べていきたいと思います。
【1】世の中は恋愛至上主義だけど……
こんにちは、恋愛をしないアセクシャルと性欲のないノンセクシャルの間を揺れ動くライターの雁屋優です。
セクシャルマイノリティの存在が認知されはじめて久しいですが、世の中には男女の恋愛を前提にした男ウケやモテテクなどの情報が雑誌やネットに氾濫し、男女の恋愛が当然であり、恋愛を経て結婚するものであるというメッセージを私達は日々受け取らされています。
一方でドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日)や『弟の夫』(NHKプレミアム)が大きな反響となるなど、少しずつ社会の価値観が変わっていくのも感じています。
しかしそれは男と女の恋愛至上主義から、同性間、異性間の恋愛至上主義や結婚が当然とする考え方に変わっただけなのではないかと私は危機感を抱いています。幸せの形は人の数だけあっていいはずなのです。
【2】恋愛することや結婚することだけが幸せじゃない理由
恋愛至上主義や恋愛を経て結婚するのが当然とすることについて、セクシャルマイノリティの一人として考えてみました。
(1)恋愛しない人や性欲のない人もいる
セクシャルマイノリティの代表格として、同性愛者や両性愛者が挙げられることが多く、忘れられがちですが、恋愛をしないアセクシャルや性欲のないノンセクシャルの人もいます。
彼らにとって、恋愛をすることや結婚が当然という価値観を押しつけられることは暴力にも等しいのです。ない感情はないのです。ないものをあるように振る舞うことはできなくはないですが、ひどく疲れます。
無理して疲弊しながら過ごす人生は楽しくないですよね。男女での恋愛を前提とした価値観が消えつつあると安心していたら、今度は同性間の恋愛も前提に加わっただけの恋愛至上主義や結婚を当然とする価値観が襲いかかってきて、対応に苦慮している人も少なくありません。
(2)結婚の条件を受け入れられないカップルもいる
結婚にはさまざまな条件があります。事実婚ではなく、いわゆる法的意味での“結婚”は、同居や家計の共同運営、姓の一致などがこの日本では結婚の際の条件になっています。しかし、これらを望まないカップルもいます。
同居を望まないカップルや、家計は別にしておきたいカップルには結婚という制度は意にそぐわないものです。カップルなんだから同居したり家計を共にしたりして結婚すべきだという意見は暴論です。そうしたくない人達もいるのです。
そして、決してその人達の愛が結婚をしたい人達に比べて軽いということは絶対にありません。そもそも愛に軽いも重いもないのです。カップルによって、一番いい形はそれぞれ違います。夫婦別姓についても、今議論がなされています。また、ポリアモリーといって、全ての人と合意の上で複数の人と関係を持つ愛の形もあります。そういった人達にとっては一人を愛し、家計や生活を共にし、姓を同じくする関係である結婚は苦痛になることもあります。
【3】まとめ
恋愛や結婚についてさまざまな立場の人がいることが伝わったでしょうか。幸せの形は社会や他人からこうと決められるものでなく、ひとりひとり違っているものなのです。
もちろん恋愛をして結婚することも幸せの一つです。しかし、幸せはそれだけではないのです。たくさんの幸せの形を知ることであなたの幸せの形を見つける助けになることを願っています。
見つけたあなた自身の幸せの形を大切にして生きていってほしいと思います。
(雁屋優/ライター)
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