マジョリティがよくセクシャルマイノリティに疑問を感じているのと同じく、パンセクシャルも日々疑問に思うことがあります。
今回は3つの投げかけをいたします。
【1】セクマイ側にも疑問はある
ヘテロセクシャル(異性愛者)がLGBTに関して「どんな感じなんだろう?」「どうやって付き合ったりしているんだろう?」と疑問に思うのと同じで、セクマイ側もヘテロセクシャルに対して疑問を持ったりもします。
今回はパンセクシャルの私が「こういうときヘテロセクシャルの人はどうしているんだろう?」と思う部分を紹介したいと思います。
【2】パンセクシャルが異性愛者に問いかけたい3つの質問
私はパンセクシャルなので、性やセクシュアリティ関係なく人を愛します。恋愛以外の局面でも目の前にいる人が「男性か女性か」はあまり気にしません。
ですから、異性愛カップルを見ていると以下のような疑問が湧きます。
(1)「異性と二人きりで会わないで!」って、同性と二人きりはいいの?
付き合っていたら、恋人には自分以外の異性とはあまり仲良くしてほしくないと思うものだと聞きます。自分以外の異性と仲良くなられて浮気されたら、他の人を好きになられてフラれたら……という不安の表れですよね。
束縛の度合いはカップルによって違うかもしれませんが、「異性と話すのもダメ」なんて話もたまに聞きます。
しかしどんな人でも好きになる可能性がある私からすると、「”異性”と仲良くしないで」というのは不思議です。
「元々は異性愛者だった(自分を異性愛者だと思っていた)人が、急に同性を好きになって自分がバイ/パンセクだと気がついた」という例をいくつも知っています。
私もそうだったので、恋人の”異性”との交流を制限したところで、浮気されたらどうしよう・フラれたらどうしよう、という不安が根本的には解決されないのではないかと思うのです。本当に不安を解消したいなら「誰とも会わないで」と言うしかないのではないでしょうか。
(2)「恋人」と「同性の親友」、どっちが大切?
私自身がパンセクシャルだと気がついた理由の一つに「付き合って半年の彼氏より、何年もずっと楽しく過ごしてきた親友の方が大切」だと思ったことが挙げられます。
恋人だっていずれは親友のような感覚になっていくのと同じで、親友が恋人並みに大切な存在であることもありますよね。
そう考えたとき、「この人は異性だから“恋愛対象”であり、恋人」「この人は同性だから“友達”であり、親友」という分け方がしっくりこなくなったのです。
もちろん、異性愛者は「異性だから”恋愛対象”」という感覚が強いから異性愛者なんだと思いますが「同性は“友達”」「だから恋人ができたら友達をおざなりに扱ってでも恋人を優先していい」という空気が感じられるときがあります。
異性の恋人も同性の親友も、どちらも大切にしたらいいのにな……と思ったりします。
(3)今の恋人と来世で同性同士になっても、また恋人になりたい?
その人がその性別であるということは、その人を形成する上で重要な要素の一つです。「性やセクシャリティは関係ない」ということは「その人の在り方に性やセクシャリティが関わっていないと思う」ことではありません。
生物的にも社会的にも、性やセクシャリティは容姿を決めたり言動を決めたりする部分があります。その人から「その性別である」という要素を取り除いたらもうその人とは違う人物なのかもしれません。けれど、考えてしまうのです。
もし私と私のパートナー(同性)が異性同士で生まれて出会っていたら「結婚」できる。もちろん、結婚できる状態になったからと言ってするかどうかは二人で決めますが、現時点ではそもそも「選択肢」すらないので空想してしまいます。
今の恋人と同性同士で出会っていたら、どうなっていたと思いますか。惹かれ合っていたでしょうか、友達になっていたでしょうか、知り合うことすらなかったでしょうか。
【3】まとめ
今回、パンセクシャルとして疑問に思うことを3つご紹介しました。
どうでしょうか。ぜひ同じパンセクの人やバイセクシャルも、異性愛者の人も考えてみてください。
(illy/ライター)
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