アセクシャルは他者に対して恋愛感情や性的欲求がないことが言われています。
私はなんとなく、2パターンいるのではないかな……と思ったりもします。あくまでも筆者の考えにはなりますが、考察していきましょう。
【1】どこまでをアセクシャルというか難しい…
本能的に性欲がわかない、そもそも性欲がないようなタイプもいれば、性的行為へのイメージやトラウマなど後天的な人もいるように感じます。
これをどこまでアセクシャルと含めるかは賛否が分かれるもので、だからこそ日々、アセクシャルを自認しながら揺れ動く人が多いのではないかと思います。
また、恋愛感情も本能的に惹かれを感じない人と、そうでない人といるような……?
そんなちょっとした思いを今回は綴っていきます。
【2】“恋愛感情がない”って2パターンない?
恋愛感情がないにも、2パターンあるのではないかと感じています。今回は、自身の考えに基づき、アセクシャルの恋愛感情を考察していきます。
(1)本能的に恋愛感情を抱かない人
1つに、性欲が全くない人がいるように、恋愛感情というものがそもそも本能的にないタイプもいるのではないかと思います。
性欲がない無性欲をアセクシャルと分けて考える場合も多いですが、「無性欲+恋愛感情がない=アセクシャルになる?」と思う人もいるのではないでしょうか。
性欲がない「無性欲」と同列のものである、「無恋愛」のような言葉ってないと思うのです。筆者の場合、そもそも自他を分けてあまり考えず、「自分の考えや概念というのも非常に曖昧で地球上の1生物」くらいにしかヒトを見ていないので、Xジェンダーも自認していますが、これって指向と言えるんですかね。
そもそもアセクシャル自体研究が未発達とはいえ、研究者のボガートさんは「性的な惹かれのないこと」と言っているので、これでも該当しそうな気がします。
一方でポーラ・ヌリウスさんは「性的指向のないこと」なので、彼の定義になぞらえて指向で考えると疑問があります。研究者でも主に3つの定義で分かれていますが、(本能的指向的ともかく)「惹かれがない」のか、「性的指向」なのかで分かれている時点で、2パターンあっても良い気がします……。
(2)恋愛指向がない人
先ほど、「性的指向のないこと」という定義を紹介しました。ノンセクシャルと差別化するためにアセクシャルも定義が変わりつつあり、狭い意味では性的指向のみ、広い意味では恋愛指向のみ……という考え方になりつつあります。
「性的な惹かれがないこと」なら相手を異性として見て好きになるということがないので、恋愛指向まで含んでも良いように感じますね。
「恋愛をしたいと思わない」「寄り添う人が必要だと思わない」「向けられる好意が気分悪い」などのケースだと指向というような印象があります。
“指向”と言われると、パンセクシャルをより狭めて、強い絆を感じる人にだけ性別などを問わず好きになるデミセクシャルをさらに狭めて、好きにならない指向を持っている人がこちらに該当するのではないかと思います。
【3】まとめ
恋愛指向にも無性欲と無性愛があるように、2つのパターンがあるかもしれない。これは、日々を過ごして、アセクシャルを自認しながら過ごす私が感じていることです。様々な考えや意見があるかもしれないですね。
プラウス・グラハムさん的な「アセクシャルであるというアイデンティティ」という定義を取るなら、「そうかも」と思った時点でアセクシャルと言えてしまいますし、定義がまちまちだからこそ、「自分はアセクシャルなのかどうか」を確定するのは難しいことだと思います。
(Amy/ライター)
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