Xジェンダーやトランスジェンダーなど、体の性と性自認(心の性)が一致していない場合に、自分の人称に違和感を抱えたり、どう表現して良いか困ってしまうこともあるのではないでしょうか。
そんなXジェンダーの一当事者として、非当事者にお願いがあります。
【1】何かの影響ではなく、ただただ自分を表す単語を探す人々
「私」「僕」「アタシ」「俺」等々、世の中では様々な自分を指す単語があふれています。
街行く人の会話を耳にして違和感を持つ、なんてことがある人もいるでしょう。
「女の子が俺とか僕って言ってたけど、マンガとかの影響?」「男の子がアタシって言うの、オカマ?」と首を傾げたり色眼鏡で見る前に、別の視点からも考えていただけたらなあ…というひとりの当事者からのお願いです。
【2】性自認に気が付いたらスタートする単語探し
さて、私の場合FtX……つまり身体は女性ですが性自認としては「女性ではないけど男性でもなく、寧ろどちらの性別もいらないなあ」くらいの枠に入る人間なのですが、思春期より少し前からこの問題を抱えていました。
自分が女性である、という認識がないので周囲の女の子が使う一人称と同じものを使うことが変に思えたんですよね。これはセクシャルマイノリティの中でも「性自認」が関わる人々の場合、その重さは様々ですが結構悩まされるようです。
肉体が女性であれば、「俺や僕は男みたいだからやめなさい」と度々注意され、周りに合わせることを求められます。そして、これは肉体が男性の場合でも全く同じように求められてしまいます。「~らしく」というやつですね。
とはいえある程度「自我」が成長している分、本人としては自分が生きやすいものを探している最中に見付けた「自分が名乗れる一人称」という場合があるんですよね。それが「僕」であれ「私」であれ。そして、私的な問題であるからこそ上手く心の中で折り合いもつけにくい。
分かりやすい違和感として自分の中に湧いて出てきたからこそ、他の言葉で対処している。そうでもしないと落ち着かない。そういうケースもあるわけです。
【3】LGBTじゃなくても
LGBTではない方々も思春期の頃は精神的に難しい時期だったり、自分をコントロールするのが大変だったこともあるでしょう。
それのひとつなのかもしれないな、くらいに思っていただければと幸いです。試行錯誤のひとつなのかな、とか。
色眼鏡は少し外していただいて。たまたま自分が経験した努力とはまた違う何かで自分を作り上げているんだなと考えていただければ。
でも試行錯誤してどうなるかと言われれば、それも人それぞれですとしか言いようがないんですよね。
【4】試行錯誤をした先も様々
私が「私」を使うのは、「男性でも女性でも使っているし、僕を使うにはちょっと男性的だなあ」という理由ですが、同じように「私」を使う人の理由は恐らく違います。
「僕」を使う方が精神的なハードルが低くて落ち着く、という人もいました。手術などはしていないFtMの友人はプライベートな空間で「俺」を使っていたりしますし。
どうにかこうにか本人が折り合いをつけて、時にはそこそこの年月をかけての「僕」や「私」等々に至りますので、茶化さず「ああ、そうなんだ」と受け止められるかが人の器を問われているかもしれません。これは私の自戒も込めて……。
【5】まとめ
もしかしたら、こうした話題は重要度としては低いのかもしれません。
けれど、当事者が悩む問題のひとつであることには変わりなく、周囲からもあれこれと口を出されるものだったりします。
本人も周りも未だ手探り状態、という方々もいらっしゃるでしょうし、「こんなことでこんなに悩んでたの!?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。多分、分かりやすい正解もないので。
こうした些細な話題でも、一息つける何かになればと思っております。
(Shano編集部)
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