留学生から聞いてAセクを知る…それまでの違和感を回顧

アセクシャルを自認する前からあった違和感

はじめまして。40代既婚のLIEです。生まれた時に女性として割り振られ、かつ女性自認です。アセクシャルを自認したきっかけは、留学経験者からアセクシャルの話を聞いたことがきっかけです。

アセクシャルという言葉を知るまで、自分を自分で定義できずに孤独感や苦しさ寂しさを感じ、無理に恋愛関係を結び、自傷的な関係に陥ったこともあります。アセクシャルという言葉を知り、自分で自分を定義できることができた途端、霧が晴れたかのように感じました。

自分自身だけでなく周囲との関係も見直すことができるようになってきた感じがします。今回は、マジョリティとは違う私がどのように感じて過ごしてきたか、小学生から大学時代まで振り返ってみたいと思います。

 

【1】疎外感を感じた小学生時代

人気タレントを見ても全く心が動かされず、疎外感を感じていました。

なぜ自分は周囲と違うのかと悩み続けました。私も話の輪に入りたいけれど、全く理解できないということがとても辛かったです。

この時期、男性タレントも女性タレントも皆美しいけれど、それは「チューリップや桜が美しい」とか「海が美しい」と同じ感じしか感じ取れませんでした。

この感覚は、40代になった今でもそれは変わりません。

 

【2】自分を偽り周囲に合わせ続けた中学高校

中学生になると、一層、同調圧力が強くなります。制服も性別で厳格に指定され、完全に管理されます。

同質性の極めて高い日本の学校環境において、些細な「マジョリティとの違い」が許されなくなります。この時期、私は周囲の振る舞いや言葉遣いを一通りコピーして応用し、自分を徹底的に偽るようになりました。

特に好きではない男性タレントを好きだといい、特に好きではない男性の先輩を好きだと言ってバレンタインチョコを渡しました。友達に嘘を言うことでチクチクと痛む罪悪感と、孤独感を抱えた中学高校時代でした。

 

【3】対人依存症に走った大学時代

大学時代は、ずっと虐待的だった父親による母親へのDVが激しくなり、母と私は家出をしました。

修復不可能なほどの家庭の崩壊や、ボロボロの母を親代わりになって支えるプレッシャーで、酒やタバコなどの物質依存や対人依存に走った大学時代でした。

「暖かい家庭が欲しい」「せめて仲間に入れて欲しい」という気持ちが一層強くなりましたが、「恋愛」という名のもとに「自分の性」を使わなければ、受け入れて貰えないと思い込んでいました。自分が全く望まない行為をし、自分を傷付けるかのように、周囲の男性に自分の性を対価として使いました。

マジョリティの立場からすると大学時代のよくある恋愛体験かもしれませんが、自分の気持ちを偽り周囲に合わせた私の場合はトラウマにしかなりませんでした。

 

【4】おわりに

今までの経験や思いを簡単に振り返ってみました。もし、小学生から大学生の間に「アセクシャル」という言葉を知っていれば、自分を深く傷付けずに済んだのだろうなと感じます。

友人関係も充実していたでしょう。無理にカミングアウトする必要はないけれど、「自分は〇〇だ」と自認し、自分の気持ちを知り、定義できることは必要だと感じました。

(LIE/ライター)

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ABOUTこの記事をかいた人

生まれた時に割り振られた性は女性で、自認も女性です。アセクシャル・デミセクシャルという言葉を知り、自分がセクシャルマイノリティであることを自覚しました。知ることで、本当の自分を受け入れることができるようになりました。趣味は読書です。使用可能言語は日本語・英語・フランス語です。