先日、人気少年マンガ『鬼滅の刃』の作家さんが女性だったということでちょっとした話題になっておりました。
セクシャルマイノリティの話題とは遠いようで近い、「男だから、女だから」の性別に関する固定観念に関してのお話をしてみようと思います。
【1】今までにも結構ある、「この作品の人の性別ってこっちだったの!?」
今回の件で「鋼の錬金術師」を思い出した方もいらっしゃるのではないでしょうか。あとは「あの少女マンガの作家さん男性だったなあ」と呟く人や、「作品と作家さんが違うのは岸田メル先生でもう身に染みているから」という人もいらっしゃいました。
実際、私も子どもの時「鋼の錬金術師」で驚いた記憶があります。それは内容というよりも、絵柄に少女マンガの雰囲気を感じ取らなかっただけだったのですが。なんというか画面の作り方だけでなく、線の描き方や表現方法の中には少女マンガ特有、少年マンガ特有のようなものがあったりするんですよね。
今回の件も「へえー」としか思わなかったですし、青年マンガなどでは女性作家さんも多いよなあと思うくらいでした。因みに、所謂成人向けのマンガ家さんにも女性作家さんって結構いらっしゃいます。
【2】媒体によってなのか、慣習なのか
しかし、作家さんの名前が性別不明なものだったり男性的だったりするものはそれなりの割合で見かけます。
ですから、Twitterなどで作家さんによっては「自分も性別を勘違いされていた」という話をしている方もいらっしゃいました。ペンネームとなると別に本名を使わなくていいわけですし、作品そのものと作家さんがリンクしているかというとそうでもないと思います。
名前と性別をリンクして考える必要はないとは思うのですが……少年マンガなどで一見して分かるような女性名の作家さんは確かに少なかったような気がします。あくまで私の観測範囲ですが。
果たしてそれが作品を載せる媒体によって影響されるのか、それともマンガや小説問わず作家というものの一種の慣習なのか。どちらにせよ、それが作家さんにとって不利益を生むものとなると少々気になるものですね。
【3】絵柄、作風、描写と「男らしさ、女らしさ」はリンクする?
そうして、こうした話題になると様々な面で「男らしさ、女らしさ」という単語がくっついて来ることが多いんです。多いのですが……果たしてそれはセットになるものなのでしょうか。
「○○だから、こういうのは描けないだろう」というのはもの凄く大きな枠のお話で、作家さん個人という小さなようで大きな枠に当て嵌まるものでもないような気がするんですよね。
グロテスクなものを描ける人、繊細な人間の感情を描ける人、作家さんの作風を作り上げるのはその人が得てきたものによって変化するだけなのではないでしょうか。
【4】どっちも勿体ないのでは?
こうした話題になる度に思うのは、自分が好きになった作品を作られた方が男性であれ女性であれ、過剰に性別を考えてしまうのは「己の中にある固定観念に気付けるかどうか」でその人にプラスの影響を与えるか否か、というものくらいではないでしょうか。
性別に関すること以外でも「世の中って固定観念だらけなんだな」と気付くと色々面白いものが見えたりしますし、ある程度固定観念を緩めておくと知らない物事に触れた時に理解しやすそうです。
【5】まとめ
様々な固定観念に出会う度、セクシャルマイノリティも含め全てのマイノリティ、それからマジョリティ側にもかなりがんじがらめに縛られている人がいることに気付かされます。
固定観念に縛られていても問題なく生きていられる人もいるのでしょうが、少なくともマイノリティというものを理解する上ではちょこっとだけでもそうしたものを緩めておくのが良さそうですね。
(シキ/ライター)
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