学校の制服について以前書いたこともありましたが、どうやら「選べるようになったらなったで見えてきた新しい問題」が現れたようです。
制服を選べるようにすれば解決するのかと思っていたらそうではなかったという、根本的な問題がそこにはありました。
【1】「知った経緯」と「知った内容」…予想しておくべきだったという反省
この話題を知ったのはTwitterでたまたま目にしたものなので、こうしたツイートには自己防衛の手段としてある程度のフェイクを入れる必要があります。
また、もしかするとこの話そのものが全てフェイクの可能性があるのですが早めに問題に気付いておかないといけない気がしたので、今回の話題にさせていただこうと思います。
「とある学校でLGBTに配慮して生徒が肉体の性別に関わらずスカートかズボンかを選べるようになった。しかし、肉体と違う制服を選ぶということは周りにLGBTであることをオープンにすることと同じ意味を持つため、結局選ぶ生徒はいなかった」というのがツイートの大まかな内容です。
嘘の話題かもしれない。なのに何故この話題を取り上げるかと言いますと、これが真実か否かは別として「今の社会では確実に起きる問題」であり、「ただ選択の自由を求めてしまった」当事者側としてその問題点を考えていなかったという反省からです。
【2】「LGBTに配慮して」という理由は適しているのか
さて、今回の話題に限りませんが世間のあちこちで「LGBTに配慮して云々」というお話を聞くことが増えました。
それは今まで見えないもの、見ないものとして処理されてきた時代のことを考えれば非常に喜ばしいことではあるのですが、同時に「これは配慮ではないのでは?」と首を傾げてしまうこともあるんですよね。
これは贅沢な意見だと思いますし、まだまだLGBT含め多様性について社会全体に話し合うべき部分が多いからこその途中経過なのかもしれません。
少なくともマジョリティ側で生きてきた方々からすれば社会でLGBTっていうのが話題になっているからとにかく何かをしなきゃ時代に置いていかれてしまう!という方々も少なからずいらっしゃると思いますし。
【3】学校や職場、どこにでもある「閉鎖環境」で何が起きるか
そして今回の話題に絞ると「閉鎖環境」と「周囲と違う選択をする危険性」の合わせ技という「かなり怖いことをしている」んですよね。基本的に学校という場所は例外を許してはくれません。
ということは、「LGBTに配慮して」という前提がある以上「そうではないけれど肉体と逆の制服が着たい」という生徒に許可は下りないでしょう。
そして怖いのが学校や、大人の場合職場という一種の閉鎖環境というのは「異物」を見付けるとそれをストレスのはけ口に使用することが往々にしてあります。
生徒の数に対して自由度などの言ってしまえば「適した大きさの水槽」が無ければいじめも共食いも起きて当然なんですよね。
いや人間なんだからそんなことはあり得ないと思う方もいるでしょうが、人間も動物ですから狭い所にぎゅうぎゅう詰めにされればトラブルが起きないはずがないんです。例えば、乗車率がオーバーした電車に揺られる日々のように。
【4】まとめ
この問題を取り上げはしましたが、未だに自分なりの答えといいますかそうしたものがまだ出てきていません。
お恥ずかしいことではありますが、恐らく筆者の学生時代の制服関係がかなり緩かったこと等がこの問題について完全に見逃してしまっていたのでしょう。
折角世の中でLGBTが知られてきたのですから、こうしたこれから発生する問題を考えるべきだなと思い知らされました。
(シキ/ライター)
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