セクマイだから…「えー、勿体なーい」と言われる謎現象

セクマイだから…「えー、勿体なーい」と言われる謎現象

セクシャルマイノリティという界隈に当事者として身を置いていると、LでもGでもBでもTでもまたはそれ以外の枠でも言われることがある「勿体ない」と言われるあれってなんなんでしょうね、と思い返しながらこれを書いています。あれって、本当になんなんでしょう?

【1】無意識に言っているのでは?

こういう事を言われる時、こちらが何かしらのセクシャルマイノリティだと知ったその後に、あまり間を置かずに言われることの方が多い気がします。ある意味、条件反射のような感じですね。

自分の世界にはない情報が飛び込んで来たので、咄嗟に出てしまうといいますか。そうした思考のシステムそのものは人間としてある意味正しいことなのですよね。

というのも、人間の思考というのは年齢を重ねるごとにつれてある程度自動化してしまうものだからです。小さい頃は細かな物事全てに「なぜ?なに?」と周囲の大人達に聞いて回りますが、大人になればそれは殆どなくなりますよね。

それは「よく分からないものでも、そういうものだから」ということにして、他のやるべきことの為に自動化させているわけです。

そうならなければ、日常生活を積み重ねていくことさえ難しくなります。こうした利点と難点がある条件反射からの発言という割合が、かなりあるとも思うのです。

【2】人間関係が面倒になってきてしまう

とはいえ、言われて嬉しいかと言われるとそうでもないですよね。どちらかというと、嬉しくない派の方が多いかもしれません。

例えその人が悪意なく咄嗟に口から出た言葉だと分かっていたとしても、いや寧ろ悪意が無いと分かっているから余計に腹が立つという人もいるでしょう。

最初の一度目は許せても、その後からは確実に此方のセクシャリティを認識した上で何も考えずに言われているのではなかろうかと考えてしまったり、こうした一言の積み重ねがその人との人間関係に影響します。

これが浅い付き合いで済む人ならまだしも、身内や親戚、友人知人となってきますと影響の大きさと深刻さが増します。

正直、セクシャルマイノリティ当事者で誰かと不仲になった経験のある人の理由の何割かはこうした、「積み重なった無意識」によるのではないでしょうか。

【3】柔軟な人とそうでない人がいる世の中で…

人が成長していく中で、誰かの価値観や思考をどこまで受け止められるかはマイノリティ、マジョリティ問わず差があるものです。

ですから、人によってはセクシャルマイノリティのことを知らずに「勿体ない」と言っていた時があっても少しずつ「自分と違う考えの人がいる」と共感や理解は出来なくとも受け止めることだけは出来たり、逆に受け止めることが難しい人もいます。

こうしたことに年齢や性別は関係なく個人個人の性格や能力に委ねられるものなので、私たちも適度に思考のクセや無意識の部分に目を向けておかないと誰かが傷つく言動をしてしまうかもしれません。

セクシャルマイノリティ自体も幅広い世界なので、理解や共感が出来なくてもせめて受け止められる側ではありたいと思うところです。

【4】まとめ

冒頭の「勿体ない現象」からはかなり離れてしまいましたが、性的に見られているか否か以外の方面で考えるとここに着地となりました。

性的な対象云々という部分も重要なのですが、人間の基本性能としての思考のクセもかなり影響している気がしたのです。

自分のセクシャリティについて話した後に「勿体ない」と言われるというケースは、成長していけばいくほど遭遇する確率が高いと考えているので。だから、性的な部分以外にも何かあるのではと考えた結果こうなりました。

マジョリティ、マイノリティ共通の事柄として考えていけることなのではないかと考えています。

(シキ/ライター)

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