「グレーゾーン」と語ってきた三ツ矢雄二さんから考えるLGBTと周囲

数年前にゲイセクシャルであることをカミングアウトした声優の三ツ矢雄二さん。

それまではテレビなどで「それっぽさ」を指摘されたとしても「グレーゾーン!」としてきた方ですが、お兄さんの定年退職などの理由により「隠す必要性がなくなってきたから」とカミングアウトされました。ここから現在、LGBTについて考えておきたいことが出てきました。

【1】実はまだまだ閉鎖的な「外」

さて、三ツ矢雄二さんの場合には所謂イケメンキャラばかりを演じるようにはならなかったこと等の様々な理由がありますが、「自分がゲイとカミングアウトしても周りに迷惑がかからない」というのが大きなポイントでしょう。

また、三ツ矢さんは「カミングアウトはしなければならないものでもない(隠していることが悪いことではない)」というようなことも語っておりました。

これは逆に言えば、「カミングアウトして周囲に迷惑がかかる場合がある」とも言えます。

実際、その人の年代や家庭環境、地域によってセクシャルマイノリティの認知度というのは差がかなりありますし、受け入れられるか否かも差があります。もしかすると、三ツ矢さんのカミングアウトはそうした所への配慮だったのかもしれませんね。

【2】有名人がカミングアウトするには意味がある

時折、国内外の有名人が時折自分のセクシャリティを公表することがあります。

きっと、本来はそれを必要としない人もいるはずです。それなのに公表するというのには、自分がある程度周囲に影響を与えられる知名度を持っていることを何よりも当人が知っているからと言えるでしょう。

無名の誰かがカミングアウトして苦しむより、先ず自分達がカミングアウトすることによって世間に受け入れられるような下地を作ることが出来ます。

そうすることによって、カミングアウトする側もされる側にも一種のクッションのようになりますし、何より「味方がここにいる」と伝えられる強い力になります。

【3】LGBTについての配慮が目立って来たということは…

最近、社会のあちこちでLGBTに対する配慮というものが出てくるようになりました。

これも非常に嬉しいことですが、こちらも同じように今までは「配慮する必要性が無い」「LGBTというものは存在しない」と社会が扱ってきたということになるわけです。

こういう所は非常に厄介でして、一度実験的に配慮をしてみたけれど特に目立った変化が起きないとなるとその配慮というものはバッサリと切り捨てられることが往々にしてあります。

ですから、心情的に声を上げられる人は声を上げ続けなければならないんですね。

LGBTについての配慮が目立って来たということは…

【4】目指すのは「カミングアウトしなくても存在が肯定されること」

まだまだ社会にセクシャルマイノリティが浸透しておらず、寧ろ配慮が必要な段階止まりというのが現在なのでしょう。配慮が必要である、ということは残念ながら当事者が声を上げないとすぐに存在を社会から忘れられる立場であるということになります。

本来であれば否定される要素などない、だからこそカミングアウトしなくても当事者がそのまま自分を偽ることなく生きていける社会。

それこそがひとつの目標地点であり、三ツ矢雄二さんがおっしゃっていた「カミングアウトは必ずしもしなければならないわけではない」に繋がるのだと思います。

【5】まとめ

恐らく、社会全体でのセクシャルマイノリティについての認知度や配慮というものは数年前に比べればかなり上がってきているとは思います。とはいえそれが何処か一部のみで盛り上がっているだけで、そうでもない場所もあるというのが実際の所だと思うのです。

けれど、それ自体が「悪」なのかといえばそうでもないといいますか、基本的にはマジョリティを土台にして社会構造が作られているわけですから、全体に浸透するには一点突破のような存在が必要になることだってあるわけです。

こういう言い方をすると若干過激派のように見えなくもないのですが黙っていると存在を「無いもの」とされてしまう以上、たまにはこうした心構えを持っていたいと思うのです。

(シキ/ライター)

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