自分たちが意図してカミングアウトしようと思わなくとも、どこかしらでマジョリティと違う雰囲気が出てしまうものです。
ゲイらしさが出てしまっていたエピソードをご紹介するとともに、ゲイセクシャルの生きにくさをお話しします。
【1】マイノリティを自認した瞬間から社会の目を気にする現状
ゲイの人は遅かれ早かれ、「自分は男の人が好きだ」「好きなのかもしれない」と気づいた瞬間から、周りの人や社会の目を気にして生きていくことになると思います。
それを何とも思わないゲイの人がいる一方で、ものすごく肩身の狭い思いをしながら生きていかなければならないゲイの人もいます。
ちなみに、僕はどちらかと言うと後者のほうですね。
【2】自認前からゲイらしい雰囲気が出ていることも…
僕は大学4年生の頃に、自分がゲイであることを認めました。しかし、それよりも前から僕は「自分はひょっとして男の人が好きなのかもしれない」と感じる場面がありました。
そのひとつに「まわりの自分に向けられる目」というものがありました。具体的な事例を2つご紹介します。
(1)自分のことを私と呼んでしまう
僕は小学生の頃、ふざけて……いや、実際はそこまでふざけておらず、むしろ当たり前のように、自分のことを「私」と呼んでいた時期があります。
一人称の「私」は、大人の世界ではとても丁寧な言葉の使い方で、むしろいい大人が、特に仕事の場で「僕」とか「俺」とかと言っていると反対に「この人はいまだにこんな幼い言葉を使っているのか」と思われてしまうことがあります。
しかし、小学生の男子が自分を「私」と呼んでいるのを聞くと、周りのこどもたちが「この人、オカマみたい」「女っぽい」と思ってしまっても無理はありません。
事実、僕自身そのように自分のことを呼んでいたので、周りからオカマ呼ばわりされることがしばしばありました。記憶はあまり定かではありませんが、自分のことを「僕」と呼ぶようになるのは中学校入学以降のことでした。
このように本人にはそのつもりはなくても、周りの反応を見て、「あっ、自分はやっぱりこっち(つまりオカマっぽい、ゲイ)の人間なんだ」と思わざるをえなくなってしまうものです。
(2)仕草が女性らしい
似たような経験は、大学を卒業し、今の職場に就職してからもありました。職場の人たちと飲み会に参加した時のことです。
ふと女性の上司から、「○○さんって女子だよね」と言われたことがあります。僕は最初なんのことかわからず、若干あたふたしてしまいましたが、取り繕って「それは女子力が高いっていう意味ですか?」と質問を返しました。
しかし、上司としてはそのような意味ではなく「仕草が女性っぽい」という意味だったそうです。そこから僕はいったいどっちの人間なんだとか、女性も男性も行けるのかという話にどんどん内容が派生していき、その場の流れでカミングアウトをしてしまいました。
上司本人には悪気はなかったのかもしれませんが、僕からしてみれば決していい思いはしませんでした。しかも、上司対僕の2人だけの会話ならまだしも、職場の人が集まる目の前でそのように言われたことは正直とてもショックでした。
幸いにして、職場の人たちは僕に対して理解もあり、他の人に噂されるようなことも今のところありませんが、いつか大っぴらにされるのではないかと、心のどこかでびくびくしているのも事実です。
【3】まとめ
意図せず、ゲイである自分がバレてしまいそうになる場面は数多くあります。
ですから、カミングアウトに慣れていなかったり、自分をさらけ出すことが苦手だったりするゲイの人は、いつか自分がゲイであることを他人に知られてしまうのではないか、という不安と常に隣り合わせの状態にあるということです。
僕たちが思う以上にゲイの人々というのはさまざまな生きづらさを抱えながらも、日々過ごしていると言えるでしょう。
(空気を読みたくても読めないKY/ライター)
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