セクマイには、それぞれコミュニティがあります。
クローズド型が多いため、出会いの場や悩み相談としてかなり有効な場ではありますが、コミュニティに固執しすぎると、見えてこない部分もあるように感じます。
その点について、お話しさせていただきます。
【1】それぞれコミュニティがある? マジョリティが聞いてびっくり
マジョリティの方には意外と知らない人も多いのが、それぞれのコミュニティがあることです。
私もLGBTの友人から聞いて知りましたが、悩みを相談したり、必要な知識を身につけたり、恋愛相手を見つけたりと、様々な場面で有効活用ができるそうですね。
色々なセクシャリティがあることが、現代では当たり前に認知されつつも、どこかまだ窮屈さや偏見などが蔓延っているのかと感じました。
一方で、コミュニティで固まりすぎていて、セクマイ自身も視野が狭くなってしまうことがあるように思います……。
【2】見失ってはいけないこと3つ
コミュニティは居心地が良いものですが……。
そこにばかり属していると見失ってしまいがちなものがあることを日々セクマイの人を見ながら感じています。
そこで、見失ってはいけないと感じるものを3つをご紹介します。
(1)多様なことが当たり前になったら淘汰される可能性が高い
コミュニティを作ることで、自分と近い価値観の人と出会えたり、お互いが自由にコミニケーションを取れる場所があることに安心感があったりとそういったメリットはあると思います。
ただ、そもそも本当にセクシャリティが多様なことが当たり前化されていたら、コミュニティって必要なものなのでしょうか?
やはり、マイノリティだから、理解されてないからこそあるものですよね。そこにしがみついてしまうと、「多様なことが当たり前」な社会が遠くなってしまうのではないかと感じます。
(2) どんな相手と付き合っていくのかを決めるのは自分
人付き合いは、セクシャリティに限らず合う合わないがあります。それは、好き嫌いや趣味や思想・価値観など……判断材料はさまざまです。
コミュニティを作ることは心地いい反面、関わる人は「同じマイノリティだけ」という偏りが生じてしまいます。
セクシャリティや価値観などに対しても、さまざまであることが認知されつつも、マジョリティの中には、そのさまざまを知らない層もたくさんいます。
そういった層とコミュニティの中だけにいると、出会えなくなってしまう可能性があり、ときとして「マジョリティはこうだ」という思い込みからくる偏見が生まれてしまうこともあります。
また、マジョリティも、セクマイが閉じた世界にいることで、セクマイについて知り、理解する機会が減ってしまうかもしれません。
(3)仲良くなれるのは同じマイノリティだけではない
例えば、セクシャリティの方向は違っていても、その他の面では共通点があったり、同じ趣味や好きなものや考え方が似ているなどそういう人とは人種や年齢や性別関係なく仲良くなったりします。
むしろ自分とは違うからこそ、新しい視点をもらえるメリットがあります。
それを良しとするか否かは人によりますが、人は自分と類似している人を好ましく思う傾向があることが科学的にもわかっており、積極的に多くの人と出会わないことで視点は偏ってしまいがちなことが言われています。
好き嫌いは誰にでもあり、セクマイだけに限らず付き合う人を選ぶ権利が、自分にも相手にも等しくあることを忘れたくないですね。
【3】まとめ
セクシャリティだけではなく価値観や考え方や好き嫌いには、そもそも、多様性があります。
好きな色や食べ物が違っていても特になんとも思わないのに、セクシャリティになると過敏なところがあると感じています。
価値観なども近代では「人それぞれ」という考え方が主流であり、事実、人それぞれで「自分とは違うから」という理由でいちゃもんをつけるのは、とんでもなくナンセンスです。
そこに気付く人が増えていき、そうした事実をしっかり見れる人とお付き合いすることが良い人間関係を築くために必要なことかもしれません。
(Bara/ライター)
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