必ずしも生育環境が関わっているわけではないだろうとは思うものの、セクマイは何らかの環境要因によって自認することもあるように感じます。
そこで、自身について考察してみました。
【1】必ずしも環境要因ではないけれど…
セクシャルマイノリティは、必ずしも環境要因ではないでしょう。ですから、「特殊な教育を受けたんだ」のようなバイアスがかかった状態でセクマイを見るのはナンセンスです。
ですが、少なからず多少は関係している部分があるかもしれません。セクマイを研究する人の中には、そのような説を唱える人だっています。
私も、もしかしたら小さいうちから女性・男性というくくりに違和感を覚えてきたかもしれないけれど、自身のトランスジェンダーという辞任を説明するにあたっては、自分の生活環境をなくして語れないのです。
【2】生育環境も影響を受けると思う理由
私の家庭環境について少しお話ししましたが、トランスジェンダーである私は、トランスになったのは環境要因も大きかったように感じます。
そこで、自信がどのようなものに影響を受けたか考察してみました。
(1)愛情によるもの
私の場合、父親には愛されてなかったと聞いたことがあります。数年後、妹が生まれ私は父と妹の仲の良さに嫉妬していました。
「なんで妹は抱っこされるのに、私はされないの?」「なんで妹は手を繋いでるのに、私とは繋いでくれないの?」小さいながらそう感じたことを覚えています。おまけにビデオにもその光景が残っていて見てしまいました……。
小学生になると私がいうことを聞かなかったせいなのか、よく叩かれるようになり、そこで男性に対する恐怖心を覚えてしまいました。かと言って母親に甘えるわけでも助けを求めるわけでもなく、外に遊びに逃げていました。
(2)一緒に過ごしてきた時間の長さ
私の家は小学生の頃に両親が離婚しています。
父親に愛されていなかったせいか、母親は味方だと勝手に思っていたため、父親と母親どちらについていくか選ぶのを全く迷うことなく、もちろん母親についていきました。
子どもなら、両親のいうことが正しいと思ってしまうのは当然ですよね。そこから女家族になり、私は男性との関わりがなくなりました。
同時に母親も父親と離婚するに至った“何か”からか、男性をシャットダウンしていきました。
(3)幼少期に関わった人から学んだもの
そんな母親を見て育った私は、“男性をシャットダウンする”という母の価値観をダイレクトに受けました。
また、女ひとりとなってしまった母を見て、子どもながらに支えたいと思いました。その時に芽生えた感情は、さながら男性のようだったでしょう。こともながらに父親が本来するように母親を支えようとして、私はますます“男性化”に拍車がかかっていきました。
柔軟で大人の影響を受けやすい幼少期にどのような価値観に触れ、どのような考えに触れてきたか。そして何を学んだきたかというのは、子ども自身の考え方や心の性までも変えてしまうこともあると思います。
【3】まとめ
私自身は育ってきた環境、愛情、時間でその人の性格や思考、行動、つまり人生は大きく変化するものだと思います。
よく自分が育った環境と周りの友達の育った環境を比べます。そうすると真逆のことばかりなんですよね……。そして、愛情を持って育てられた人は大人になって今度はその人が周りに愛情を持ちながら接していることがわかりました。「自分がされてきたことする」ということですね。
とはいえ、私は父親に叩かれてきたけど、人を叩いたりはしていません。むしろ逆で、されてきたからそれとは逆のことをしよう。こういう考えも生まれます。鏡のように影響を受けるか、反面教師的に影響を受けていくのか…それはその人の本質次第なのかもしれません。
けれど、全てを環境のせいにするのは間違っています。自分というのは自分で変えていくしかありません。変えたいのか、そんな自分を受け入れるのか…決断するのは自分です。周りの人や意見はあくまで支えです。悩んだって、迷ったって、失敗したっていいと思います。
(ツバサ/ライター)
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