前編では、ブルジョワ女子中学校を卒業し、アソコを持つ男子たちのいる異世界に入ったことをお話ししました。
そこで素敵な彼と出会い、傍目から見ても恋をしているように見えたようですが、すでにアセクシャルの片鱗を見せていたと感じたのでした。
今回はそんな彼とお別れし、高校生になった頃を振り返ります。
【1】壊れた家族
高校時代は、中学時代の延長ともいえるような感じでした。でも、それは初めの1年だけのことでした。また転勤にぶち当たったのです。両親が公務員であるため、運命であるから仕方がないといえば仕方がない……。京都から神戸に転勤でした。でも、もう、私は転校をしたくなかったのです。環境になじむ、というのはかなり精神力を使うものだから。実際、私を含め、兄妹にメンタルな面で支障が出ていました。
私は指の節の皮をめくるのが癖になり、節がコブのようになり、かつ抜毛癖になっていたし妹も同じでした。兄はもう、大学受験にプレッシャーをかけられ、ほとんど引きこもりになっていたし、友達と言える人もおらず、学校では完全に孤立し家では何も話さないようになっていたのです。完全に“機能不全家族”になっていました。
神戸に転勤しても、私は神戸から京都の高校に片道2時間かけて通学しました。この通勤時間は疲れます。でも、私はその当時芸大を目指して受験体制に入っていたために転校は避けたかったのです。
朝五時半に起きて、学校に7時について、朝練。私は芸大の器楽科にいきたくて、毎日、朝練、昼連、部活、土日も学校に行って、トレーニングと休みなく受験に邁進していました。私はトランペット奏者になりたくて、毎日練習をしていました。ピアノも練習しないといけないし、その他、楽理などなどに打ち込みました。
【2】中学でエッチを覚え…高1で妊娠する妹
そんなことをしているうちに家では大変なことが起きていました。妹が高校一年で妊娠したのです。相手は同級生の男の子。妹は「子供を産む」と言う。でも、そんな頃を母が許すのは有り得ないし、もちろん中の子には申し訳ないけれど、中絶をさせました。
そんな中、兄は「帝大、最低早慶」の進学を強要させる両親から逃げるべく、ベランダからジャンプして家出をしました。
もう限界だ……。わたしは、妹が中学生のうちにエッチを覚えてたのを知っています。もう中学生だと言えども、早い段階で性的経験したと思うし、妹自体、そう言ってます。翻って、私は、「そういう」性行為がどうしても受けいれられませんでした。なんとなく動物的にしか見えなかったのです。
男性器という突起物がへこんだ部分の膣という部分に挿入し、男性が腰を動かすなどという艶かしい行為がどうしても私には受け入れられず、その他の性行為も生々しくしか映らなかったのでした。キスも正直なところ「唾液の交換」にしか考えられず、私は大多数の人がしている性的接触というもの自体が受け入れ難かったです。
そんな経験から、私は自分自身がおかしいと思うようになり、コンプレックスを抱くようになり、そして、普通の人に見えるように、思われるように努力をするようになりました。
【3】まとめ
「普通の人に見えるように」そんな自分が望まないことを、無理強いすることはものすごいストレスを産見ました。
それでも、自分はアセクシュアルだとは知らなかったし、もちろんそんな言葉なんか最近まで知りませんでした。
私は、うつ病で障がい者だけれど、(それは過剰労働の結果だけれど)、今思えば、おりが重なるようにストレスが溜まっていたのかもしれないと思います。
(田中裕子/ライター)
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