私は現在、ストレートからセクマイを理解して支持する立場にありますが、ここに至るまでにたくさんの刺激に満ち溢れる経験がありました。
たくさん経験することで物事を理解することにつながるので、全ての経験は、今となってはとても良い経験だったと思います。当時は、セクマイの人に嫌な思いをさせてしまぅったり、自分自身、苦渋に満ちた気持ちになったこともたくさんありましたけど……。この記事では、ストレート(俗にいうノンケ)の私が今までに経験した苦い思い出を書きたいと思います。
【1】レズビアンを口説き続けるという失敗
私は男性で、女性に興味を持っています。そのレズビアンの人は見た目は美しい女性で、最初は彼女がレズビアンだと知らなかったので、デートに誘い、当たり前のようにアプローチを試みました。
アプローチを断るためでしょう、会話の中で「レズビアン」だとカミングアウトされました。ですが、私の脳みそは「目の前に美しい女性がいる」という認識しかできず、彼女へのアプローチを止めませんでした。レズビアンが女性しか好きにならないという認識ができなかったのです。レズビアンといっても、男性を好きになることがあるのではないかと思ったのです。
そして、「何もしないから」というお決まりの言葉でホテルに誘いました。ですが、彼女は途中でタクシーを降りて帰っていきました。タクシーの中で置き去りにされた私は、私はとても悲しく悔しい気持ちになりました。それは彼女を「女性」と認識していたから、単純に、「チャンスを逃した」ことへの悔しさでした。
でも、よく考えても見れば、私はとても失礼なことをしてしまっていたのです。レズビアンで女性が好きということは、女性が恋愛対象であること。それを伝えたにも関わらずアプローチしてきたことに嫌悪感を抱くのは当然ですし、もしかすれば、日々の経験から、男性に誘われることに対して、うんざりしていたのかもしれません……。
目の前にいる美しい女性をレズビアンだと認識するには、今までの当たり前の価値観で生きてきた脳みそには、とても難しいことだと思いました。
【2】後日謝罪に行くも…投げかけられた質問に悲鳴
先日のレズビアンの女性と、後日会うことになりました。私は「理解が足りなくてごめん。もっと理解したい」と正直に言って、友人として会うことになりました。
彼女は実はアセクシャルと言っていました。「男性も女性も好きにならない」と言っていました。私は初めて聞くことの連続で、会ってすぐに脳みそが悲鳴を上げ、混乱しているのがわかりました。
会話の中で彼女は「どうして好きになる対象を性別で分けるのか。好きになるなら男性も女性も関係ない」と言いました。当たり前に異性間で恋愛をするものだと思っていた私は脳みそが溶けそうになりました。
「性別で分けることに意味がない」ということを理解するまでに時間がかかっています。確かに社会で生活する中で、様々な場面で「男性」と「女性」に分けられています。子どもの頃からそういう環境で育ちましたし、それが当たり前だと思っていました。しかし、彼女の問いかけは、とても深いものだと今でも思います。
「性別で分けない社会」になると、相手の性別を意識しなくなるのかもしれません。それは、とても新しい考えのように私には感じます。同時にとてもワクワクするような気持ちにもなります。
【3】クラブやバーなどでよく出会うゲイの方々への疑問
さて話が変わりますが、私は音楽が好きで、よくクラブに行きます。中では、時々ゲイの方と会うことがあります。同じ音楽が好きということで意気投合するのは、性別は関係ありません。私は何人かのゲイの方と会った経験から思うのですが、とても積極的にアプローチをしてくるのはどうしてだろうと不思議です。
すぐに性行為を求めてくるような積極的なアプローチです。あくまでも私が出会ったゲイの人たちの話ではあるのですが…密接に体をくっつけてくることが多かったのです。例えば、私も好きな女性を見るとアプローチをしますが、そんな積極的なアプローチは、相手の中身を見ずに性的対象としてしか見ていないと認識しているのでしません。
理由は、まず相手と会話をして、相手を理解して、意気投合することができたら、その先にもしかしたら性的なつながりがあるかもしれないけれど、それは、必ずではないですし、そこに行きつくまでに時間をかける必要があると考えているからです。そして、それは相手を尊重することだと認識しています。
ですが、ゲイの方に会うと、なぜか積極的にアプローチをしてきて、時間をかけて相手を知るという段階を飛ばしているような気持ちになります。会ってすぐにホテルに行くという行為が、私にとっては、とても軽率な行為だと感じます。ですが、これってもしかしたら男性同士だからこそ、射精を伴う生き物だからこそ、体の相性も含めて良い相手を探していることなのかもしれない…など分からない脳で考えています。
もちろん、全てのセクマイの方がそうではないと思いますが、私の経験では、そういう方が多かったと思います。明確にゲイの人から理由を聞けるわけではないですし、失礼に当たりそうで聞くこともできないので、とても不思議なのです。
【4】会うたびマジョリティの価値観を揺さぶるセクマイ
セクマイの方と会った経験は、私にとってはとても貴重な経験でした。私は今までの自分の価値観を大きく揺さぶられました。そして、そのたびに、大きな疑問を抱え、苦しみ、一つずつ乗り越えてきたと思います。まだこれからもそれは続くと思います。
この「脳みそが溶けそうになるほどの新しいこととの遭遇」は、人間が生きる上で、とても貴重な経験だと、私は自分の経験からそう思います。価値観の多様性とは、簡単なものではありません。
苦い思いを経験して初めて、少し理解できると思います。その苦い経験に対してどう向き合うかで、新しい物事を理解するかしないかが分かれます。一人ひとりが、その苦みにどう向き合うかで社会の方向性が決まっていくと思います。
【5】まとめ
私が、私自身の経験から言えることは、そういう「苦み」は誰にでもあるもので、当たり前のことだから、それだけで判断しないことが大切であるということ。
その先に考えを進めることが、価値観の多様性を認め合える社会になっていくことにつながると思います。
(Shano編集部)
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