アセクシャルは病気ではありません。
ですが、性行為の末に生まれる子どもに対して“気持ちの悪さ”を覚えているため、私は“感情的障害者”なのかとふと思ってしまうのです。
【1】私の本当の障害
本日も晴天なり、桜も美しく「うつ病、障害者2級」の私でも少し気分がアップします。それでも、うつ病の患者友達と話しているのですが、この冬から、春にかけての移行期間が一番うつ病者には弱いのです。過眠の症状で一日16時間も寝てしまいます。
でも、私はうつ病に関してはかなり楽観的で、お薬を飲んで休養していれば寛解(状態が良くなること、でも完治ではない)状態になるのでのんびりとしたものです。こうやって100%フリーランスになったことで、働く時間も選べるようになり、かなり楽なったのです。
私の人生においての一番の障害というのを告白すると、“障害者”という括られ方をするものではないものの、「私は子供が苦手」ということです。どうしても子供が好きなれない、興味がわかないのです。
50年間自分がアセクシュアルであることを知らなった私は「異性とまともな関係を持てない、“欠陥”を持った人間」と自分を認識していました。そして、物心ついたティーンエイジからどうしても子供が好きには思えず、漠然と「自分は結婚せずに一生をすごしていくのだろうな」と感じていました。
【2】子どもを受け付けない理由の考察
私は今までの記事で、毒親である母からの身体的、精神的虐待の記事を何度か執筆をしています。その育った環境が原因なのかどうか、自分でもはっきり分からないのですが、どうしても子供が好きになれないのです。
アセクシャルの方の中には、一定数そういう方がいるようですね。
私の場合、恋愛感情なく結婚したことがあるのですが、実際自分が結婚して、子どもを持つような年齢になってもその気持ちは変わりませんでした。ちなみに、アセクシャルを最近自認した妹も、そうではない兄も子供が苦手のようです。
会社員だったころ、もう10年以上にもなりますが、会社の同僚と私はスタバの某店舗の常連になっていました。店員さんとも仲良くなり、バリスタのゲイセクシュアルのKayクンとも仲良くなったりしました。
そしてふとした会話の時に、子どもがトピックに上がったのですが、その時の私の反応は、Kayクン曰く、「裕子ッチ、子どもが好きじゃなさそう、興味ないの?」と勘づかれるもの。「あちゃー、ばれちゃったか?」というのが私の本音でした。
そして、その場では適当にごまかして話題をすり替えたのです。私は一度英国人の子供好きな男性と結婚をしています。でも、子どもは作りませんでした。なぜなら「自分が親からされたことを、自分が自分の子供にしてしまうのではないだろうか?」とういう恐れがあったからです。
私は外資系企業で働いていたために、バリバリと男性と同等、いや、それ以上にバリバリと働き稼ぐ女性を見てきました。(男女を比較して優越がどうという話ではありません)
そこで出会った先輩「睦子」さんも、子どものころから父親からの虐待を受け、家庭は崩壊状態で、お母様は暴力を受けた末に、倒れて、口から泡を吹きだすような修羅場もあったとか。そして、そんな睦子さんも「結婚せず」、そして睦子さんの二人の弟さんも未婚だそうです。
睦子さん含め、全員「結婚で幸せ」というイメージがどうしても作れない、という事で独身でいるとのことでした。私は、納得感を覚えました。毒親育ちの家庭も、往々にして子どもを作ることに抵抗があるようです。
ただ、私は、子供が性行為という性愛の行為から生まれたものが、どうしても受け入れられないのです。この点から、やはり自分がアセクシュアルであること、子どもが苦手であることを認識して今日に至るのです。
【3】まとめ
友人らが子供を作り育てていく過程を見ると、完璧に傍観者で冷めた気持ちいる自分に気が付き、自分に「何かが欠けている」と感じてしまいます。
うつ病という公的に認定された「障害」よりも「子供がどうしても受け入れられない」と言う自分に違和感と自分は人間として「“感情的障害者”なのではないか?」と疑問を感じるのです。私のように、“感情的障害”のようなものを感じている人は他にもいらっしゃるのでしょうか?
(田中裕子/ライター)
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