子孫を残す論争で…みんな非生産的で生産的なんじゃないか、という話

子孫を残す論争で…みんな非生産的で生産的なんじゃないか、という話

一時期、LGBT関係に対しての否定的な理由として「生産的ではないから」と言われていたことがありましたよね。

次世代に子孫を残すことがないから、というような話でしたがふと改めて考えてみると「みんな非生産的であり、同時に生産的だから今の文化や文明があるんじゃないだろうか」と思ったのでそれをまとめてみようと思います。

「非生産的か生産的か」という論争についてのひとつの素材になりますように……。

【1】他の生き物から考える

この地球には様々な動植物が存在して人間はその中の一種になるのですが、他の動植物がどうしているかと考えてみれば自分が生き残ることと繁殖することに一生のほとんどを費やしていたりします。

魚類だと何百個を越える卵を産んだとしても成長するまでに生き残るのは数%の確率だといいますし、親が子を育てるという動物に関しても草食獣は勿論のこと、肉食獣の子どもでさえ全て大人になれるかというとそうではありません。

【2】「七つまでは神のうち」というように

人間も、少し前までは成人するまでに生き残れる割合というのは今よりもっと低いものでした。例え生まれる数が多くとも、病や飢餓、その他諸々の要因で死亡率が高いんですよね。

たまに「昔の子どもは今と違ってたくましかった」なんて言う方もいらっしゃいますがそれは生存バイアスというもので、その人がたまたま生き残っただけだったりします。そうでもなければ、「七つまでは神のうち」なんて言葉と考え方は生まれないんです。これも少し前までの社会ならよく使われたもので、生まれてすぐに亡くなる子どもが少なくないのならそれなりの年齢に育つまで、自分達人間の社会に組み込むのを避けておくというような意味合いが大きいです。

7つまでに亡くなってしまった子どもは神様のものだったのだから仕方が無いのだ、手放すのが惜しくて連れ帰ってしまったのだ、というようなものですね。

【3】誰かが見付けた「非生産的」が「生産的」につながる

この通り、繁殖というものを生産的と結びつけてしまうとかなりシビアな世界だということが分かります。何かしらの文化や文明どころではなく、サバイバル生活を続けているのかそれとも人類はちゃんと生き残っているのか、という疑問さえ湧きかねません。

だからこそ、私たち人間の生存率を上げたものが「非生産的なもの」ではないでしょうか。

生きる為に直接関係は無いものでも、星の動きに気が付いて考えた人がいるから「方角」を知り、洞窟に絵を描くことで自分達の生きた証を残したり「ただ生きる」だけではない生き方を生み出していく。

どの魚ならば食べられるか、狩りをするのにもっと効率的な方法はないか。繁殖に直接関わりは無くとも、そんな人々の知識やそれを記したものが積み重なって人間全体の生存率が上がって今があるのではないでしょうか。

だって、そういうことでもないとフグなんてどう食べたらいいのか分からないと思いません?

【4】非生産的なものに救われる人だっている

少し繁殖云々の部分からは逸れますが、芸術や音楽、娯楽でお腹が膨れるかと言われればそうでもないですよね。

でも、精神的に辛い時などにそういうものに触れて気分転換が出来たり、気力を補えたという経験がある人は少なくないと思います。

誰かの非生産的な物事が、誰かの心や命を救っていたりする。それならこの世に非生産的なものなんてないのかもしれません。

【5】まとめ

少し前に揉めた「生産的と非生産的」の話題を、敢えて個人個人の問題ではなくもっと大きな枠で考えてみたのが今回です。

生きること、生き残ること以外に何かをしていられる生き物って本当に少なくて、それに充てられる時間を考えると嗜好品を楽しんだり趣味を持てるのは人間くらいなものなんですよね。それって、他の動植物から考えてしまえば「非生産的通り越して無駄」とも思われてしまいそうです。

でもその無駄に見えるものがこうして私たちを今日も生かしてくれているなら、生産的も非生産的も無く、無駄と言われるものもないのではと思っています。

(Shano編集部)

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