一定数の女性が「女であること」に対して疑問を抱いたことがある?

一定数の女性が「女であること」に対して疑問を抱いたことがある?

先日、「女性らしさ」を大切な価値観する人もいるという事実の元、他のライターさんが女性らしさについて考える記事を執筆しました。しかし、筆者はTwitterを眺めていたところ興味深いツイートを見かけました。

それは、「一定数の女性が、女性であることに対して疑問を抱いた経験があるのではないか?」というものでした。「男性と比べて、自分の性別に疑問を持ったことがあるのではないか?」というお話ですね。

セクシャルマイノリティではないけれど、そういう女性がいるとしたら……ということで今回はそちらを考えてみようかと思います。

【1】求められる「女の子らしさ」

子どもというものは周りの環境や人物の影響を受けて育ちますよね。

「子どもの時には平気で虫が触れたけど、今はもう無理」なんて方も多いと思いますが、それには「取ってきた虫を親に見せたら悲鳴をあげられた」とか何かしらの切欠がないとそうならなかったりします。

外的要因に影響されて自分を知ったり成長するとなりますと、「女の子なんだから」という台詞を言われたり耳にすることで「女の子という枠」を知ることになります。男性でも、「男の子なんだから」とか「男の子らしく」と言われて「枠」を知ることになったのではないでしょうか。

そしてこの求められる「~らしさ」が細かく、また求められる機会が多いのが女の子の方だったのでは、と思います。

現在ではそうでもないかもしれませんし、人それぞれの家庭環境によってそれもまた変化するものでしょうが「胡座をかくな」「スカートも穿きなさい」「男の子みたいな言葉使いはするな」等々、筆者の遠い記憶を辿っても「何かしら細かいことを言われ続けてきたな」と思い出します。

【2】別にマイノリティではなくとも…

さて、筆者自身はFtXなのでここまで読んだ方は「そりゃあマイノリティなんだからそう思うだろう」と考える方もいると思います。

確かに、根っこに性別への違和感がある状態で生まれた身ですのである程度そうした部分もあるでしょう。とはいえ、そうではないであろう人々の中にも「疑問を抱いた瞬間」のような話を聞くこともあるのです。

これは地方といいますか、田舎故に未だしっかりとした固定観念がある場所だからこそ「女は女らしく、男は男らしく」というというものが強いのかもしれませんね。

そもそもこうした固定観念もいつ頃発生して、何の役に立つのか疑問ではありますが。

なので、同世代の男の子達が遊んでいて「面白そう」と思った流行り物を体験出来なかったり、単純に好きな遊びも出来ないまま大人になった、なんてこともあります。

家族に男兄弟がいても、男兄弟には許されて自分には許されなかったものがあった等々、掘り下げると暗い話題ばかりになるので止めておきましょう。

【3】「女の子らしく」が出来ないことと「男らしく」が出来ないという重み

女の子が女の子らしくと育てるように、男の子が男の子らしく育つようにとした場合、精神的に辛いのはどちらも同じとして「男の子らしくあれなかった」場合というのはなかなかに本人だけでなく親などの周囲も苦しむのではとこの話題について考えていたときに気が付きました。

親が子どもを性別より「自分とは違う感覚を持つ個人」として考えている場合ならばそこまで問題にはならないのですが、どうしても親というのは自分の子どもに期待をしたり勝手に夢を抱いているもので「子どもが結婚して、孫の顔を見たい」とほぼ無意識に考えていたりしてもおかしくないものです。
そうなってくると、「お嫁さんを迎えて、家を継いで、孫の顔を見せる」というのが当たり前だと考えている人々の中で「そうなれない」と分かってし

まった場合、本人もそうですが周囲の方が混乱したりするんですよね。本人が本人の生きたい生き方を選べない上に、周囲は勝手に「夢や期待を壊された」と混乱するわけです。

逆に女性の場合、それがセクシャルマイノリティ云々ではなくとも「じゃあ不出来な娘は出て行きますね」という行動が取りやすい部分があります(勿論、金銭的な問題、賃金格差など困難な部分は大きいですが)。家というシステムに合わなかった場合には男性の方が逃げ場が少ないとも言えます。

【4】まとめ

今回の話題はセクシャルマイノリティなのか、と問われてしまうと「地続きではあるだろうけれど少し違うかもしれない」と答えます。

とはいえ、セクシャルマイノリティの世界もはっきりとした「枠」があるというよりは「グラデーション」の世界だと思うのです。似ているようで、似ていないかもしれない。マイノリティとマジョリティのどちらにもある話かもしれませんし、そうではないかもしれません。

マイノリティの人々が今まで苦痛と思っていたことが、もしかしたらマジョリティも苦しかったことかもしれない。そう思える何かは、まだまだありそうだと思い、お話をさせていただきました。

(シキ/ライター)

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