悪者扱いされた夜の街…「多様性がある大切な場所」を忘れたくない

悪者扱いされた夜の街…「多様性がある大切な場所」を忘れたくない

新型コロナの対策が少しずつ広まって来たとはいえ、まだまだ難しい部分の多い現在ですね。

特に流行の序盤において「夜の街」、つまり繁華街を悪者のように扱われたこともあり、コロナには感染していなくとも営業が出来ずに倒産、店じまいをしたという打撃を受けた人々も少なくありません。

マジョリティにもマイノリティにも殆ど共通の話題ですが、少しこれについて追加のエッセンスを加えて考えてみたいと思います。

【1】宅飲みという文化が馴染んでも

さて、飲酒出来る年齢の方でお酒を嗜まれる方にも様々な楽しみ方がありますよね。居酒屋巡りが好きな人もいれば、ひとつの店でのんびりと……という方もいるでしょう。

そしてまた、友人知人と集まれないというこの状況下になりますと、お酒以外でも同じ趣味を持つ人々と集まれないということが出てきます。

ビデオ通話などを使用しての「宅飲み」も一気に浸透しましたね。それ以外でも、お仕事が直接対面ではなくリモートワークに変わったという人も少なくないと思います。

どちらも人の性格によりけりと言いますか、合う人には非常に合うけれど合わない人には合わないものですが。電車やバスの時間を気にしなくて良い、というのは確かに利点です。

とはいえ、特に遊びというか趣味のことに関しては「物足りない!」「リアルで集まりたい!」という人が多いのではないでしょうか。

【2】「多様性」がある「夜の街」

新型コロナが流行り始め、まだ詳細が分からなかった段階で悪役にされたのが所謂「夜の街」だったことは皆さん記憶に新しいと思います。実際は何処でも共通する「三密」などの対処が必要だったのですが……。

とはいえ、ある程度の密室で集まって声を出すということでどうしてもリスクが高まってしまうことは事実ですし、その影響でそうしたお店やライブハウス、イベント企画などの業界に痛手となったのも事実です。

けれど、清濁全てを飲み込めるという要素を持っていた夜の街だからこそと集まれた人々もいます。清濁併せ呑めるからこそ、マジョリティもマイノリティも関係なく存在出来ると言えるかもしれませんね。

【3】集まれる場所を、支えるために

こうして考えていると、今でこそ他の方法などがありますし夜の街に行かなくとも同じ属性の仲間に会えない時代ではなくなりましたが、逆に過去マイノリティの人々の心を支えて来てくれたのはそうした場所とお店です。

また、現在でもセクシャルマイノリティという概念について広めてくれたり、様々な表舞台に出てくれている方々の拠点としてそうしたお店を経営されているということがありますね。

「趣味で繋がっている同好の士」の方々が他の界隈でもどうやったら「集まれる場所を守ることが出来るか」を考えていらっしゃいます。

例えば屋外でサバゲーを好む人々も、屋外とはいえ集まらねば始まらないというものなので思い通りに活動出来ませんし、そうした方々に土地を提供しレンタル事業などをしていらっしゃる方には経営が難しくなったり、必要な土地の手入れも出来なくなるというようなことがあります。

私達も、今までセクシャルマイノリティについて受け入れてくれたり共に語り合う場をそうしたお店に提供してもらっていた所があると言っていいでしょう。少なくとも、直接の関わりは無くともそこにいた人々が過去から現在を繋げてくれているのですから。

とはいえ、何をどうすれば支えになれるかはまだまだ難しい所がありますね。ただお店に行けばいいのかというとそうとも言えないのが難しい所です。

【4】まとめ

どうしても、現在分かっている新型コロナの情報や対策だけでは「これをこうすればいい!」という答えを出せるお話は出来ません。

こうした対策や企画については全体的にアイデアを挙げてみたとしても、それをしっかりとそれぞれが考えてみなければ意味がないという状況になっているのは変わらないのです。

ですが、こうした時に忘れてはならないというか忘れたくない存在としてこうしたお話をすることにしました。

今でこそある程度の理解が得られてきたセクシャルマイノリティですが、その理解というか生存権を訴えてくれていたのも、生かしてくれていたのも、「夜の街」だと思っているからです。

(シキ/ライター)

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