以前私は、「肌を重ねること」の気持ちよさを書きましたが、同様に、気持ちよいことをまだ児童だった小学六年生の時に発見しました。
当時の経験について綴っていきます。
【1】小学校は男女共用のトイレだった
場所は男女も分かれていない、長崎県の県庁がそばにあるそのローカルでは都会な場所であるところだったのですが、男女同じトイレだったのです。小学校の教室が二教室半入れるくらい大きいトイレに右手に、男子のトイレ(お小水用)と女子と男子のための和式トイレ……。
いつものように2時間目の熱血「よかばい」先生の授業が終わり、トイレに「用を」足しに行き、おしっこを終えてトイレットペーパーで「お大事」を拭いた時、指が滑って、そののち、クリと知る部分にあたってしまいました。
そのとき、何とも言えない感覚が体に走り、私はとても困惑してしまいましたね。自分の体にこんなものが「ついている」だなんて…と驚きました。それまでは、単なるおしっこが出るところで、月に一度生理とやら(私は小学四年生に生理を迎えていました)の出てくるだけの「場所」が「快感?」と呼ばれるものと思しき「体の器官」と化してしまったのですから。
そのころ、薬師丸ひろ子主演の映画、『セーラー服と機関銃』という映画が流行っていました。薬丸ひろ子演ずる女子高校生が機関銃をぶっぱなし、「カ・イ・カ・ン」と言うシーンが印象的な映画だったのだが、そのような快感とは全く別の物だったのは言うまでもありません。
【2】アメリカの恩師が…バイセクシャルゆえに辞職に追いやられる
小学生のときのクリの発見は衝撃だったものの、その後大人になると社会問題に興味が湧いてきました。特に、アメリカ留学時代には時事の男女同権問題や、人権問題、人種問題、そして性的指向問題には毎日のようにぶち当たりました。
私の尊敬する教授のポールがバイセクシュアルで、一見平和で「Happy Cobber(幸せな仲間の私達!)」を標ぼうする我が大学では「差別・侮蔑・いやがらせの対象」だったのです。そのことに、とてもショックを受けました。“Happy Cobber”は単なる金メッキだったのです。
ポールは元来ヘテロセクシュアルで、子供がいたのですが、その後自分のセクシュアリティーに疑問を抱き、ホモセクシュアルになった人です。五か国語を堪能に操り、私は彼の一般教養のクラスを取っていたました。
そして、クラスでは自分がバイクシュアルであることを、カミングアウトしていました。英語での性的思考をオープンにすることを「coming out of the closet」というのですが、彼はそれを実行してたのです。
彼は一学期が終わるとポールは大学から辞職をしていました。カミングアウトしたゆえに、そうせざるを得ない状況に陥ってしまっていたのです。私は残念でたまらなかった。悔しかった。
私自身は当時アクシュアルであることをまだ自覚していない時でしたが、セクシャリティゆえの差別はたまらない悲しさがありました。性の指向で職を失うのです。社会問題に向き合い、夢を掲げていた私は現実をたたきつけられた感じがしました。
【3】まとめ
小学生の頃は、私自身アセクシャルだと気がつきませんでしたし、性的な気持ちよさも知っていました。
そして、大学生の頃に出会ったバイセクシャルのポールは辞職に追いやられ、とても衝撃を受けました。
自分のセクシャリティを知った今、この出来事を思い出し、またなんとも言えない気持ちになってしまっています。
(田中裕子/ライター)
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