宗教にハマる親から自分の深い心のうちを相談することができないまま、日々セクマイについて考えるようになった私。
きっかけは“薔薇族のようなこと”を経験したことでした。
【1】新興宗教にハマり相談もできない母
胸のふくらみと陰毛に関しては、人より早く発達してしまったがゆえに、本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。
まだ小学生だったし、頼れるはずの同性の母親は新興宗教にのめりこんでいて、毎年100万の寄付をしていてそれに熱中をしていたため、性にまつわる話を聞くことができませんでした。
だから、自分でどうにかするしかありません。そこで、私同じように体が早熟に発達した子2人に相談して、ブラや生理について教えてもらっていました。
ただ、その頃に気が付いたのは、大体の女の子は好きなアイドルやもしくは学校に好きな「男子」がいて、その子にどうアプローチするかどうかを話題にしていたことでした。
小学六年生にもなると、クラスでは人気のある男子もいたし、告られ、告ることがチラホラとあったことに私も気が付いていました。でも、私はそうじゃなかったんです。異性に興味もなく、歩いて2分の小学校に淡々と通っていました。
【2】ブルジョワ女子中学に通い…“薔薇族”のようなことを始める
小学校を卒業すると私は私立の女子中学校に入学しました。さらに異性から離れた感じですね。
公立中学に行けば良かったのですが、2歳上の兄がひどいいじめにあい、また学校側の対応も最悪で、私はその中学に行きたくなかったのです。そういった経緯から、私は私立の女子中学に入学を果たしました。
しかし、そこは地方のブルジョワ女子中学で、私には少し異質に思えた場所でもありました。生徒の大体の親は医師か、経営者でした。
それでも、今思えば結構楽しかったと思います。なぜならば、プチ薔薇族のようなことをしていたからです。先輩という名のお姉さまとの交流が始まりました。
【3】お姉さまと交わす毎日の手紙に自分がビアンであることを疑う
入学して1か月もするとバレーボール部に入学したこともあってか、先輩というものが出来ました。
とてもやさしく、チームの成績もそう悪くはなかったし、私は身体を動かすことが大好きでした。先輩は色々教えてくれるし、その先輩は同じフロアのお隣の教室にいるし、そのうち先輩のお友達とも知り合いになりました。家庭では孤立感を感じていた私にとって学校は楽しい場所でした。
だから、先輩というのは、本当にありがたい存在で頼れるお姉さまになっていました。そして、そのうち、なぜか手紙をもらうことになります。
なんてことないメッセージなんだけれど、“愛”とか、“好き”とか、そういうことではなく、私を気遣っていてくれるメッセージ。そんなことがとてもうれしかったです。
「なんで、そんなことをしてくれるのだろう?」と私は訝しい気持ちになりながらも今でいうところの「萌え」をお姉さまに感じていました。
複数のお姉さまとの交流(それが愛だったのかは分からない、何しろまだ13、14歳だったのだから)が続きました。そして、それは2年間で、私の転校で終わりを迎えるまで続いたのです。
それはとても心地よく、まるで赤ちゃんがお母さんに抱っこされているような気持ちがしました。そして、私は男性より女性のほうが良いな…と思うようになっていっきました。自分のセクシュアリティを意識が芽生えていった時期です。
【4】まとめ
この日から、私は心と体の生合成に悩むようになっていき、レズビアンなのかな…とセクマイに関心を持つようになりました。
ですが、結局アセクシャルを自認できたのは生まれて50年。このときからおよそ40年です。アセクシャルという言葉さえ知りませんでした。
関心があっても、自分自身を知ることが難しいことはあるのですね。
(田中裕子/ライター)
コメントを残す