先日、プチ薔薇族もどきの二年間をお話ししました。そんな私は京都市内の公立の中学に転校。
その後についてお話しします。
【1】“アソコ”を持つ男子のいる異世界
私立の女子中学に転校受験をするのが面倒でした。公立中学は私にはカオスに思えたのです。
もちろん「男子」がいるし、私立のブルジョワ学校とは訳が違うのだ。これは決して蔑視的に言っているのではなく、むしろ私にはほっとさせる気分を与える環境でした。
クラスが学年に6クラスもあるし、その分、先生から学生への対応も薄くなる。しめしめ、私はくつろぐことが出来る、と思いました。
だけど、「男子」の存在は、正直言って「暑苦しかった」というか、なんというかその…「おちんちん」を持った存在で、私は正直、苦手というか、異次元の世界にもぐりこんだ気分だった。
【2】異性ではなく才能ある人間として好きな中田くん
その「おちんちん」をもった存在である「男子」生徒にうんざり感を感じながらも、「素敵だな」と感じた男の子がいました。
でも、誤解しないで欲しいのは、異性としてではなく、才能を持った一人の人間として「素敵だ」と感じた結果なのです。
彼は、中田君(仮名)で、吹奏楽部に属し、トロンボーンをそれはそれは美しく奏で、そして、彼自身のスタイル、様式美というものを持っていました。
乗る自転車も数十万の物だったし、ファッション、文房具も他の生徒とは一線を画すものだったし、180㎝の身長の彼は、東京原宿を歩いていれば、スカウトをされる可能性は高かったと思うくらいの男の子でした。そして、幸運にも、私たちは電話をするほどの友達になっていったのです。
そんな中田君と電話をしていたりしているのを見ていた母親はなぜか安心していたようです。裕子(筆者のこと)が人並みに女の子らしいことをしている…と思ったのでしょう。
しかし、私はデートとか、このこの日に会って何かをしよう以上は求めませんでした。私たちは洋楽が大好きで、彼のおうちの家業はそれ業界に近いこともあり、色々と話しが弾みました。
でも、私は同時に思ったのです。「友達だけど、もし、中田君がこれ以上を求めてきたらどうしよう?」と。それは杞憂に終わりました。
高校進学の時期に入り、私は「そこそこ」のレベルの高校に入学し、彼は、英国の寄宿学校に留学することが決まりました。私たちの関係はそこで終わることになってしまっのでした。今のように、メールやネットがあれば、どうなったか分かりませんが…。そこで、“the end(終了)”そして“no worry(気にしない)”。
【3】まとめ
まだまだ中学、高校生の私には自分のセクシュアリティを認識するということ自体が無理でした。
“レズ”、“ホモ”、という言葉だけは知っていた(ごめんなさい)無邪気なティーンエイジャー、それが私でした。
でも、その時代がはるか50歳になるまで続くとは誰が思ったでしょうか。
(田中裕子/ライター)
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