パンセクシャルはよく、「性にとらわれない」という言われ方をしますが、全ての人を恋愛対象とすると、相手をどう見ているか疑問に思う人も多いようですね。
そこで、相手をどう見ているかご説明します。
【1】全ての人を好きになり得るって不思議?
パンセクシュアルとは「性別・セクシュアリティにとらわれずに」人を好きになる人のことを指します。
女性も男性も、「男・女」に分けられない様々な人も、全て恋愛対象ということであり、人を好きになるときに性別は重要な要素ではないということです。
しかし、異性を好きになる人からしてみたら、「それってどういう状態?」と思うかもしれません。
今回は、パンセクシュアルの私が、実際に人間関係の中で人をどう見ているのかをわかりやすく説明してみようと思います。
【2】パンセクシャルは人間関係の中で人をどう見てる?
性にとらわれないパンセクシャルは、人をどう認識しているのでしょうか。
私の感覚に基づいてご説明します。
(1)性別という概念がない
日常生活の中で、性別を意識するタイミングは意外に多くありません。
デートで一緒にどこかへ行ったり、お家で一緒にご飯を作ってテレビ見て……と過ごしているとき、いちいち相手の性別を意識したりするでしょうか。
外出先でトイレや銭湯、漫画喫茶など身体的な性に基づいて区分けされているところに入るときには性別を問われるかもしれませんが、それ以外ではただ「その人」といるという印象の方が強いのではないでしょうか。
もちろん、性別による差を無視しているわけではありません。ただ、大した差だと捉えていないだけです。
例えば相手が「大阪出身の」「エンジニアの」「男性」だとします。この場合相手が「男性」であるということは相手を認識するときに「大阪出身だ」「エンジニアだ」と同じくらいの重みしかないのです。
(2)「男らしさ」「女らしさ」はない
「男らしさ」「女らしさ」というのは人間によって生み出された幻想でしかありません。
例えば、ピンク色が女性の色だと思われるようになったのはここ100年以内の話です。それ以前は「ピンク=女性」というイメージはありませんでした。
このように普遍的な「男らしさ」「女らしさ」は存在しないと思ったり、そういったものにこだわらないのがパンセクシュアルです。
だから、相手の特徴を見つけたときに「男だからだ」「女だからだ」と思うのではなく「その人だからだ」と考えます。
相手がピンクを好む人だった場合、その人が女性なら「女だから当然か」と思ったり、その人が男性なら「男性なのにピンク?」とするかもしれませんが、「その人はピンクが好きなんだな」以外の感想は生まれないということです。
(3)性別役割分業はない
「女なら◯◯して」「男なら◯◯して」というのも、私と私の好きな人の間にはありません。
男性のパートナーと一緒にいるときでも、料理が得意な方、そのときやりたい方が料理をします。けれど、大きな荷物は彼に持ってもらうことが多いです。
なぜなら「私が完全にインドア派で筋肉がなく」「彼は鍛えていて重い物を楽々運べる」からです。私が女で彼が男だからではありません。
私よりも力がない人の隣では私が荷物を持ちますし、私より力のある人といるときは荷物を持ってもらう。ただそれだけです。相手を性別で分けて考えずに、このように相手その人がどうかをその場その場で考えるのです。
(4)愛の営みもさまざま
いくらパンセクシュアルだから性別を気にしないと言っても、各自が持つ身体的特徴は変えられない事実です。
異性が行うエッチと同性が行うエッチは確かに形式上の違いはあります。
しかし、それは問題ではないのです。まず、異性愛者がエッチをするときも、さまざまなやり方やカタチがあり、本来どのようにするのが正解であるというものはないはずです。それは相手が誰であれ言えることでしょう。
そして、お互いが納得して好むカタチで愛を確かめ合えているのなら、身体上、形式上の違いは些細なことだと私は考えます。
愛し合っているなら◯◯すべき、というようなルールはなく、本人たちの間でどう考えるかを最優先する中で、性別、エッチの有無や方法などはそこまで重要じゃないと考えているということです。
【3】まとめ
今回は多くの人に理解していただけるよう、恋愛に寄せて「性にとらわれない」感覚についてお話ししました。
しかし、性別にとらわれない接し方は「恋愛におけるパンセクシュアルの行動」としてだけでなく、日常生活においてあらゆる人が性別や役割にとらわれずに生きられる方法でもあります。
自分の中の「◯◯だから◯◯すべき」に気づいて、見つめ直すきっかけにもなれたらと思います。
(illy/ライター)
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