多様性が言われるようになって、自分もLGBTに理解を示したいと思う人が増えてきたように感じます。
ですが、そもそもどのような配慮・気遣いが必要なのかわからない…という人もいるようです。今一度、セクマイの一人として考えてみました。
【1】多様な性の配慮が求められる世の中へ
文部科学省では「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」とう通知が各教育機関に向けて出されています。
教育機関での取り組みは、現在急ピッチで進められていることと思います。
同様に経団連、労働組合連合会などさまざまな機関で、多様な性に対する取り組みが始まっています。
【2】どんなことからすすめる?
多様な性といっても、具体的には何を対応したらいいのか? というところがわからない人もいるかもしれなません。
今回は個人でもできる小さな取り組みをご紹介したいと思います。
(1)性の多様性の意味・内約を理解
近年ではLGBTという言葉がよく使われるようになりました。レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字をとった言葉ですが、実際にはそれ以外の性的少数者も含む広い意味で使われることが多いです。
レズビアン、ゲイ、バイセクシャルは性的指向を表す言葉で、トランスは性自認を現す言葉です。性的少数者としてひとつにまとめられても、分けて考えることもできる部分でもあります。
性的指向はどのようなものでも、現代ではそれ自体を治療する必要はないと考えられています。対して性自認は、医学的な手助けが必要とする場合もあり、性同一性障害という名前もあります。
すべてのトランスジェンダーが性同一性障害なのではなく、医療的な手助けを必要としないトランスジェンダーもいます。性別を変えたい人、変えたくない人、性を決めたくない人など、様々な人がいることを理解しましょう。
テレビや新聞などでは、極端な例が報道されがちです。すべての人がその例に当てはまるわけではありません。当事者からの悩みを打ち明けられたら、「この人は性的少数者だ」というレッテルを貼らず、その人本人の持つ悩みに耳を傾けるようにしよう
過去に学んだとしても、知らなかったことがどんどん増えていきます。ひとつひとつを受け入れ、新たな価値観を受け入れる姿勢を持つことが大切です。
(2)軽蔑の意味を持つ言葉とは?
「おかま」は差別的な意味を含む言葉だということはご存じでしょうか。
そもそもおかまという言葉は女性的な男性を表すこともあれば、同性愛者の男性を表すこともあり、異なった意味が混同されていることが多いです。言葉の意味が人によって異なり、傷つく人もいるため、使わないほうがいいでしょう。
また「ホモ」「レズ」なども、これまで軽蔑の意味で使われることの多かった言葉です。こちらは現在でも、笑うために使う人も見かけます。たとえば「ホモネタ」という言葉は、男性同士の恋愛をおもしろおかしい対象にしている、ともとらえられますよね。
どの言葉もきっと、悪気があって使われているわけではありません。当事者が親しみやすさを演出するために使うこともあります。しかし傷つく人がいることも踏まえたうえで、あえて使わない方向を選んでみてはいかがでしょうか。
是非、自分が使いそうになったら、言葉を変えてみてください。ホモはゲイに、レズはレズビアンに、とった具合です。身の回りに「ホモ」「レズ」という言葉を使って当事者を馬鹿にしているような人を見かけたら、毅然とした態度を取ることも時に必要です。
(3)見えない人への配慮も大切
性的少数者の割合は1割にものぼります。しかし当事者の大半は自分が性的少数者だということをカミングアウトしていないとも言われています。
学校の先生や先輩、職場の上司など、目上の人に対してカミングアウトすることは特に難しいものです。打ち明けることは義務ではありません。打ち明けない人も安心できるような環境づくりが大切です。
個人で出来ることとしては、「アライ」の表明をすることなどが挙げられます。アライはLGBTの理解者である人のこと。
場合によってはSNSのプロフィールアライを表明したり、学校や職場にアライを表すステッカーを貼ったりすることで、安心できる人もいるかもしれません。アライになるための特別な許可は必要なく、支援するという姿勢と心がけがあればまずは充分です。
もしも既に配慮を必要としている人が身の回りにいるのなら、その人がどうしたいと思っているのかを聞いてみましょう。自分が相手に必要だと思っていることと、相手が自分に求めていることは違うかもしれません。本人の意見に耳を傾けるようにしましょう。
【3】まとめ
LGBT用トイレの整備などの取り組みも、早く進むに越したことはありません。
しかし目立った部分を変えるよりも先に、精神的な部分や言動など身近なところを変えていかなければ、本当の意味での多様性に対する配慮とは言いきれないと思います。
すべての人がはじめから完璧な配慮ができるわけではありませんので、少しずつ気付きの幅を広げていくことが大切です。
(オーノサエ/ライター)
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