毒親育ちのアセクシャルでも…母性を追い求めることがある?

アセクシャル毒親育ちでも求めてしまう母性

私はアセクシャルで機能不全家庭の育ちです。

毒親の親に悩まされたことも多いですが、最近、それでも母性を求めてしまう自分に気がつきました。

 

【1】渇望した母の愛

世の中今はまさに上に下に大騒ぎの昨今、皆様は如何おすごしでしょうか。私は暇になり、断捨離をしていました。4月20日から入院、手術を控えそのために、身辺整理ではありませんが、色々と身の回りを整理していたのです。

私は、腰椎脊柱管狭窄症という病気で手術をするのですが、ちょうど25年前にも腰の手術を致しました。その時は若さもあり、また、椎間板ヘルニアという良くある疾病のためにあまり深刻さを感じずに、入院し、手術を致しました。

そして、その頃は私の「毒親 朝子ちゃん」も元気でいたころです。母は5年前に亡くなりましたが、そんな毒親の母にでも、いまだ私は母性を求め、母の愛を渇望しているのです。

友人にその旨を話したところ、とっくに死んだ人間にそんな母性や気持ちを安らぐような言葉を期待してもしょうがない、とつれない言葉。でも、子どもが母親の愛を求める、というのは自然とういうか、本能ではないでしょうか?

 

【2】折檻をされても愛が欲しかった

私の母の思い出は3歳で大きく変わります。それまで優しかった母が、私が3歳を過ぎたころから鬼のように変貌したのです。遊びから帰ってくると、手をひきずられ、お灸をすえられることが何度もありました。また、兄は、お灸を指先にすえられることもあり、母の理由なき折檻がはじまるようになりました。

私が3歳ということは、ちょうど妹が生まれた頃なのですが、考えてみると三人目の子供を産んで、育児でストレスになっていったのかもしれない、とふと思ったりもします。

私の母は、私がうつ病になって家にいるようになると、「家から出て行って欲しい」と言い、私は泣く泣く引越しをすることになりました。うつ病になり収入も減ったにも関わらず、引越しをすることになったのです。

母にとって、私は転職しているので、私という存在は「外資金融で働くエリート」でなくなったら、存在意義がなくなってしまったのかもしれません。でも、そんな母でしたが、年を取り、パーキンソン氏病になり、介護の手が必要になりました。それが、私は実家に戻ってくることになりました。母の介護のために自宅に戻ることが許されたのです。

そして、それから約7年間ほど私は母の介護をしたのですが、やはり、介護というのはすごく疲れます。患者本人も今まで元気だったところに、体が動かなくなってしまったことによって、ストレスを感じ、その怒りを母は私にぶつけました。正直なところ、うつ病を患っているところに、介護はきつかった。

でも、私は母からの愛をまだ求めていたのです。母に尽くし、介護をすればきっと私を愛してくれる、そう信じて毎日介護をしていました。

しかし、特養ホームに入所が許され、別々に暮らすようになった間もなく、あっけなく母は肺炎にかかって亡くなってしまいます。施設から連絡が来て、病院に駆け付けたところ容体は安定したので、私たちは「帰ってもいい」と言われて帰ったものの、3時間もせずに病院から連絡があり、亡くなったとのことでした。

私はあまりの展開の速さのために、頭というか心がついていきませんでした。母が亡くなった……。あんなにも母の愛を渇望した私に最後まで、厳しく私にあたった母はそのまま霊山へと旅立ってしまったのです。

私の心は、ぼっかりと穴が開いてしまったようになってしまい、母のお葬式を終えての数か月、自分が何をして過ごしていたのか今でも全く記憶にありません。

 

【3】まとめ

折檻をされ、またそれに反抗した私でしたが、それでも、どこかで母から愛されたい、子どもとして認められたいという気持ちを長くもっていましたが、その気持ちはとうとうかなえられず、今に至ります。

子供というのは、本能で母性を求めてしまう生き物だと思います。

私は現在50歳ではありますが、それでも、いまだ母の愛を得られなかったことで、自分の人生に何か欠けているという喪失感を埋めることが出来ないでいます。

私は異常なのでしょうか。この記事を読んでくださっている読者の皆様の反応は如何なものでしょうか。ぜひ、母娘の関係というのも、母性を求める子供の心理というものを知りたいと思う私です。

(田中裕子/ライター)

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