最近、授業中にLGBTの理解促進を促すような機会があったり、逆に何気ない一言から、公平性を保つべき教師から同性愛の偏見的な考えが垣間見えることがあります。
セクマイの一人として、どうしても引っかかってしまった教師たちの発言をご紹介します。
【1】理解のない言葉は教師の口からも出てくる
授業は知識を得る場所であり、価値観の影響を受けやすい場所です。
そのため、教師は正しい知識を生徒・学生に伝えるべきです。しかし実際の教師の発言が全て正しいとは限らず、間違ったことを言ってしまう教師も存在します。
特にセクシャルマイノリティについては、教師側の理解が追いついていない場合もあります。筆者は大学時代、当時定年間近だった教授の言った言葉が心にひっかかっています。
「同性愛者が増えているけれど、男は男らしくあるべき。女は女らしくあるべき」
これは教授が授業の本題から逸れたとき、悪気なく放った言葉です。同性愛者を笑っているわけでもなく、バカにしているわけでもありません。でも、できることなら、避けてほしい言葉でした。
【2】なぜ避けてほしい表現だったのか
セクマイの人の多くは、上記の言葉に同じような引っかかりを覚えるかもしれません。ですが、あえてなぜ避けて欲しかったのか言語化しておきましょう。
(1)「増えている」は正しい?
「増えている」という言い方では、まるで人数そのものが増えているかのように聞えます。
正確には、声をあげ始めたことに気が付いた状態なのだと思います。これまでも声をあげられなかった人がいること、今も声をあげていない人がいるかもしれないことは、念頭にありません。
今まで知らなかったからこそ、知ろうとしなかったからこそ、増えているように感じるのではないでしょうか。
(2)「男は男らしく」は適切?
同性愛という言葉は、体の性別と心の性別が一致しており、恋愛対象が同性にあることを指しています。
女性的な言動や装いのゲイ男性もいますが、それが全てのゲイ男性に当てはまるわけではありません。男性らしい言動や装いをすることと、男性を愛することは、一緒に存在しうる要素です。
同性愛の文脈において「男は男らしく」と言うことは、同性愛をよく理解していないことの表れでしょう。
(3)ジェンダーハラスメントとしての警鐘
「男は男らしく」「女は女らしく」ということは、社会通念上の区別(=ジェンダー)です。
社会的な性別「らしさ」に基づいて相手のあるべき姿を決めることは、ジェンダーハラスメントになります。
ジェンダーハラスメントは、セクシャルマイノリティだけの問題ではなく、社会として減らしていきたい問題のひとつです。
【3】まとめ
正しさは時代によって違い、時代が進むにつれてよりよい方向に修正されていくものです。人前で発言する機会があるのなら、正しさを定期的にアップデートしていく必要があります。
何気ない一言が誰かを傷つけることもあれば、正しい理解を示す一言が誰かを救うこともあります。
自分が正しいと思っていても、10年後にはその価値観は正反対のものになっているかもしれません。自分の価値観が古く間違ったものだったと気付いたときは、知らなかった価値観の理解に努めたいものです。
(オーノサエ/ライター)
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