セクマイのリアルがわかる・共感が集まる『ぼくは性別モラトリアム』

最近、色々なセクシャルマイノリティの当事者本がバラエティ豊かになってまいりました。

その中で、pixivで反響が大きかったことからか先日書籍として発売された『ぼくは性別モラトリアム』という本を紹介したいと思います。

【1】「自分は男になりたいんだ!」からスタートした作者さんの道のり

この本の作者であるからたちはじめさんは、自分の性別に対する違和感、そしてそれは一体なんなのかを考えてきたひとつひとつをエッセイ漫画にしています。

ですから、最初は「女性であることに違和感があるのだから男性になりたいんじゃないか」というところからスタートします。この感覚、自分の性別に違和感を持つタイプの方々は覚えがあるのではないでしょうか。

LGBTという言葉が浸透してきたとはいえ、その中身や「その他の少数派」というものの存在については当事者の方々以外知られていない世の中です。自分の身体と心に違和感があるけれど、それに合う言葉や情報が手に入れられない時は(特に子どもの時なんて違和感に気付いても調べることは難しいですからね)、「男性に(女性に)なりたいのかも」と思ってしまうんですよね。

情報がないから極端になってしまう、当事者からすると覚えがあるようなスタート地点からあれこれと考えていくのです。

【2】「あるある」と思えるエピソードたち

本の中には、セクシャルマイノリティ当事者の方が大なり小なり「それなー!」となるようなエピソードがあったりします。

それは日常生活面であったり、自分のセクシャリティについてなど様々ではあるのですが……個人的には「胸の大小に関わらず、それが女性の証のように思えるので嫌だ。いっそ切り取って寄付でもできないか」というお話に笑ってしまいつつも「そうなんだよなあ」と頷いてしまいました。

たとえ有るのか無いのか分からないようなものだとしても、そこに女性性の象徴があるわけですから違和感は拭えないんですよね。

あと、肉体の性別らしい服装などをしてみようと定期的に試みる姿も「あるある」となったりします。

(画像は『ぼくは性別モラトリアム』 のスクリーンショット)

【3】「名前」と「性別」

そして、この本の中で目に留まったのが「見た目と本名」という部分です。作者さんは本名が女性的なのか、工夫をして肉体の性別が分からないようにしているので病院などの場においてフルネームで呼ばれるということに苦痛を感じていらっしゃるようでした。戸籍の、つまり元々の肉体の性別がバレるというか、意識せざるを得ない状況が苦手だということですね。

これって、作者さんだけではなく性自認に違和感のある人(トランスジェンダーやXジェンダーなどを含めて)には身近なストレスなひとつと言えるのかもしれませんね。

トランスの方でも服装をどうにかすればある程度問題ないという人や、本格的な性別適合手術まではしなくてもいいという人もいらっしゃいますから。けれどそうなってくると、戸籍の名前と見た目にズレが出てくる人が出てくることになります。とはいえ、じゃあ呼ばないでほしいというわけにもいかないですよね。

そうした場所というのは万が一のトラブルを防ぐ為にフルネームを呼ぶものですから「ストレス」であっても妥協せざるを得ない状況なんです。……まあ、昨今は親に付けられた名前がキラキラネームであまりにも……という方が名前を変えることに成功しているようなので、もしかすると名前をどうにかするということについては昔よりハードルが下がっているのかもしれません。

因みに、名前というのは面白いもので一昔前は男性名だったものが現在は女性名になっている、またその逆もある……なんてこともあります。一度そういうことを調べてみると、それはそれでストレス度合いが変わるかもしれませんね。

【4】まとめ

当事者本というのが様々出ている中で、この本はかなり「当事者じゃない人向き」なのではないかと思います。

迷いながら、自分の違和感をひとつひとつマンガにして整理して……という作家さんの心の動きは当事者じゃなくとも伝わりやすいと思うんですよね。

あれでもない、これでもないと自分の違和感を解消しようとする、それも自分の心と身体というマジョリティの人達が人生の中で違和感を持つのかどうか分からないような自分の根っこについて考えていく姿は、文字だらけの専門書を読むよりとっつきやすいでしょうし。

あと個人的になんですが、こうして自分に向き合って考えていくことを「性別モラトリアム」と表すのって面白い試みというか、素敵な名付けだと思うんです。

(シキ/ライター)

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