【性知識を教えない家族】Aセクゆえか性的成長・性の話題に嫌悪する

性知識を教えない家族

性に関心を持ち始める小学生。当時自認していなかったゆえか、性的成長に対して隠そうという思いがありました。

また、性の話題についてもひどく嫌悪感を持ったことを覚えています。

 

【1】カラダの早熟と性知識を教えない家族…数々のトラブルへ

生理云々以前に、私は小学校三年生の9歳の時には、既に現在の体格に育ってしまっていました。身長158.5センチメートル、体重50キロ、そしてバスト80センチ。これは、もうブラが必要でした。

なんといっても、Tシャツなどを着ると乳首が浮き出てしまうのが問題です。要は第二次成長期に入っていたことになるでしょう。不思議なのだったのが、私のクラスには同じような子が私以外に二人いて、私とその子二人ははブラをつけ、そして生理が始まっていたということです。

小学校4年生には生理が始まりましたが、当時の私にとって重大なのはブラの問題でした。母は、生理が始まった私のナプキンの使い方を教えることもなく、私は見よう見まねで生理ナプキンと専用ショーツを買いました。

うろ覚えだったけれども、自分のお小遣いから買ったものでした。母は性的なことは、「学校で教えるべき!」という考えの持ち主で、生理は赤ちゃんを産むための身体から自然と生まれる準備なのだとマンガで私は知ることになりました。

そのせいで、笑ってしまいますが、私は生理ナプキンのずれ防止のシール面をなんと性器面にあてると言う間違った使い方を長年していました……。そしてブラは、定期的に送られてきた従妹のお古の洋服と一緒に送られてきた古びたサイズの合わない花柄のものを使っていたので、洗い替えの物はなく私はずっとそのブラが真っ黒になるまで毎日つけていました。これも、バストの成長にはあまり良くないですよね……。

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【2】性に関心を持つクラスメイトの詮索に嫌悪感

そして、困ったのが同級生でした。私の家庭はお堅い国家公務員で2年ごとに転勤を繰り返し、当然私や兄妹も転校を余儀なくされていました。そして、性的に最悪な詮索をされたのが。長崎の某小学校に転校したときで、「異なる・文化」を許容できる環境の学校や地域ではありませんでした。

卒業までの一年間、担任は私のことを「転校生の田中さん」といらない修飾詞をつけて呼んでいたし、一部のマセた女子にとって修学旅行は性的詮索の格好の機会となり、陰毛が生え、生理があり、ブラをつけていた私は格好のターゲットとなってしまったのです。

詮索はまず、お風呂場の脱衣所から始りました。私は陰毛が生えていることを絶対にチェックされると思い、剃毛をして修学旅行に臨みました。無事、気が使われなかったと思い旅行が終わったと思うと、その「詮索女子」は旅行後数日いみじくもこう言っ他のです。

「おばちゃん(私のニックネーム)、あそこの毛剃っていたでしょう~」と、まるで夜のお店のキャッチでいる男のような顔をして話しかけてきたのです。早すぎる身体の成長とアセクシュアリティ(その当時はもちろん気が付いていない)の私はなぜかその子に激しい嫌悪感を覚えました。自分のプライベートゾーンを侵された気がしてならなかったのです。

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【3】まとめ

長崎の小学校は、とても排他的でした。年代が分かってしまいそうで恥ずかしいのですが、当時は「たのきんトリオ」が全盛で、学年女子はマッチが大好きでそのグッズを持ち歩き、ポシェットを方から下げないと仲間に入れてもらえないという雰囲気でした。

私は全く興味がなく、つるむ友達が無く、ぼっちになってしまいました。でも、転勤族慣れの私は異端視をされることが多いのに慣れてはいたので、なんとなくやりすごしていたのを覚えています。

(田中裕子/ライター)

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10万とび50歳(笑)なのに、つい最近まで自分がアセクシャルであることに気が付かなかったノホホン女子 。社会人3年経験後に、思い切ってアメリカ留学。金融に勤務後にうつ病で、障害者認定…。それでも、明るく×2にゃんずと暮らしながらアセクシュアルであることに誇りを持って楽しくライターをしています。性的に気持ちいいことは抱っこ。嫌悪タイプではなく、暖かい人肌が大好きです。